2020年に読む、新しくなった『ムーミン谷の十一月』

ムーミン小説シリーズ最後の一冊、『ムーミン谷の十一月』。タイトルどおり十一月のムーミン谷のお話なので、当サイトでも毎年この時期に何度かご紹介をしています。基本的なストーリーや作品が書かれた背景については「ムーミンたち不在の十一月」、フィンランドの様子については森下圭子さんのブログ「ムーミン谷と十一月」「ムーミン谷の十一月」をご参照いただきつつ、今回は先月発売された新版『ムーミン谷の十一月』をもとに、旧版との違いや、コロナ禍に見舞われた2020年の視点で再読して心に残ったことなどを綴っていきたいと思います。その前に! ムーミンシリーズはミステリではないので、ネタバレということはないはずですが、まっさらな気持ちで物語と向き合いたい方は、このブログに目を通す前に今すぐ新版『ムーミン谷の十一月』をお読みください! 読書の秋を盛り上げてくれるキャンペーンやグッズもありますよ。そして、読了後にまたこのページに戻っていただければ、新たな発見があるかもしれませんし、もしかしたら自分の見解とはちょっと違うなと感じる点も出てくるかもしれません。そのときはご感想をSNSに投稿したり、もし今後「オンライン読書会」のようなイベントがあれば参加したりしてくださると、とてもうれしいです。さて。新版『ムーミン谷の十一月』。手元にある講談社文庫新装版と比べてみると、真っ先に気づくのは「弟・ラッセに捧ぐ」という献辞が入ったことです。ラッセというのは、ムーミンコミックス展(2011年1月11日まで滋賀県佐川美術館で開催中、順次全国巡回予定)で注目が高まっているコミックスの共著者ラルスの愛称。『英語対訳 ムーミン・コミックス』には今まで日本未公開だったラルス単独作も収録されていますよ。

新版は献辞に至るまで原著のままに改められました。どの本が誰に捧げられているのか、執筆当時のトーベの心情や状況をうかがい知るヒントになります。一例を挙げるなら、新版『ムーミン谷の夏まつり』には「ビビカに捧ぐ」の文字。トーベとビビカ(ヴィヴィカ)の大恋愛については映画『TOVE(トーベ)』で詳しく描かれているそうですから、日本公開がとても楽しみですね。次に大きな改訂は、各章タイトルがなくなったこと。例えば、過去のブログに書かれている第1章「スナフキン、旅に出る」、第7「なんでも、わすれるのだ」どの章タイトルは新版にはありません。
「大パーティーの準備」というタイトルだった第17章については「家族のしるしの大パーティー」詳しく紹介されています。新版は新訳ではなく、従来の訳の持ち味や良さは残して、これまでの愛読者が読んでもまったく違和感のない仕上がりになっているのですが、この章に関しては印象がかなり変わったように感じる箇所もあります。
それぞれの思惑をもってムーミン谷を訪れ、ムーミン一家不在のムーミンやしきでぎくしゃくとした共同生活を送ってきたフィリフヨンカヘムレンさんホムサ・トフトミムラねえさんスナフキンは、スクルッタおじさんの言葉をきっかけにパーティーを開くことに。ミムラねえさんがフィリフヨンカにそのことを知らせたときのふたりのやりとりを引用、比較してみましょう。

「とてもいいニュースだわ。知らないものどうしが、漂流して陸にうちあげられたり、大雨や大風で、とじこめられたりしたときには、みんな、そういうパーティーをするのよ--そして、パーティーのさいちゅうに、ふっと、ろうそくをけすのよ。すると、もういちど火をつけたときには、みんなの心がしっくりとけあって、ひとりの人みたいになっているの」(略)
「それは、わるくないわね。そして、それからひとりずつきえていって、おしまいには、ぽっかり、あなのあいたようなへやに、ねこだけのこって、からだをぺろぺろなめるのね」(旧版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳

「いいことを聞いたわ! 知らないものどうしが漂流して陸に打ち上げられたり、大雨や大風で閉じこめられたりしたときには、みんなそういうパーティーをするのよ--そして、パーティーの最中に、ふっとろうそくを消すの。そして、もう一度火をつけたときには、ひとりいなくなっていて……」(略)
「うん、わるくないわ。そして、それから、ひとりずつ消えていって、最後はネコだけ残されて、みんなのお墓の上でぺろぺろ毛づくろいするのよね」(新版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳/畑中麻紀翻訳編集

旧版の意訳は素敵ではあるのですが、トーベが書いたスウェーデン語版に忠実に改訂された新版のほうはフィリフヨンカとミムラねえさんの掛け合いの軽妙さが光ります。ここでふたりが言及しているのは、有名な推理小説『そして誰もいなくなった』だと思われます。読書好きだったトーベは推理小説や冒険小説にも親しんでいたとのことで、コミックス「預言者あらわる」(ムーミン・コミックス第5巻『ムーミン谷のクリスマス』収録)に出てくるパパの愛読書といえば……。じめじめと暗い十一月を描いた、やや重めの最終作というイメージの強かった作品ですが、新版を読むと、あちこちにトーベのあたたかなユーモアを感じます。パーティーの始まりを告げるヘムレンさんの挨拶は次のように変わりました。

「このパーティーは、わたしたちみんなが、一つの家族であるしるしにもよおす、家族の夕べであります。」(旧版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳

「このパーティーはぼくたちみんなが、ムーミン一家の心をもって開く、わが家の夕べであります。」(新版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳/畑中麻紀翻訳編集

つまり、ヘムレンさんはたまたま集まった自分たちのことを「家族」とまでは言っておらず、「ムーミン一家の心をもって」「わが家」という言葉で表現しています。「ムーミン一家」「わが家」のイメージは読者ひとりひとり微妙に異なるかもしれませんが、あえて言うなら、自分が自分のままで好きに過ごせる場所、互いの自由を重んじつつ思いやりをもって接する関係、といったところでしょうか。パーティーではみんなそれぞれ余興をすることになりました。見事なおどりを披露して、喝采を受けたミムラねえさんの言葉をきっかけに、フィリフヨンカは大切なことに気づきます。

「わたし、おどらないではいられないんですわ。あなただって、そうしなくちゃ」
フィリフヨンカは、立ち上がっていいました。
「しないではいられないということと、しなくちゃということとは、ちがいますわ。しなくちゃということは、しないでいてはいけないということと、おんなじことで……」(旧版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳

「あたし、おどらずにはいられなかったの。みんなだって、そうしなくちゃ!」
と、ミムラねえさんは答えました。
するとフィリフヨンカは、立ち上がっていいました。
「しないではいられないということと、しなければならないということは、ちがうわよね。しなければということと、せずにはいられないということが同じだとは思わない……」(新版『ムーミン谷の十一月』講談社刊/鈴木徹郎訳/畑中麻紀翻訳編集

「しないではいられないこと」については新版巻末に収録されているフィンランド文学研究家の高橋静男さんによる解説「ムーミン感覚」(1990年のものを再録。文庫新装版には未収録)でも掘り下げられています。
フィリフヨンカにとって掃除は「しないではいられないこと」でしたが、掃除の途中で屋根から落ちそうになったことがきっかけで、「したくてもできないこと」になり、しかもヘムレンさんから「フィリフヨンカがすべきだよ、家事は女の仕事なんだから」と決めつけられたことへの反発で、ますますできなくなってしまっていました。
「しなくちゃ/しなければならない」という義務感とは別に、好んで「したいこと」「しないではいられない」を自覚することによって、ムーミンやしきに集まったみんなは自分を取り戻して、それぞれの生活へと帰っていきます。フィリフヨンカはまた、掃除や整頓とは別に、音楽という新しい「したいこと」とも出会いました。それはスナフキンのハーモニカの音色を耳にして、スナフキンが忘れていったハーモニカを吹くことによって開花した新たな一面であって、おそらく自分ひとりでは見つけることができなかったものでしょう(ハーモニカをめぐるやりとりにも、新版で改訂された箇所があります。見つけてみてくださいね)。今年、わたしたちの日々の生活は否応なく大きく変化させられました。大好きな楽しみを見失ってしまった方も多いことでしょう。でも、だからこそ、自分の大切な「しないではいられないこと」を意識してみると、明るい気持ちを少しは取り戻せるかもしれません。もし、それが見つからないときには、ムーミンやしき滞在者のひとりになったつもりで『ムーミン谷の十一月』の世界を訪れてみてはいかがでしょうか。

萩原まみ