(174)春の大砲と海の氷

海を覆う氷が割れたところ。最近のヘルシンキでは、海の氷はぷかぷかと静かに沖へと流れていくことのほうが多い。

群島に暮らす友人から動画が送られてきた。海が開いたよ、というメッセージと共に送られてきた動画だ。岸近くはまだまだ氷に覆われている海も、少し遠くの方は氷が割れて海の水が覗いている。氷が割れた海は、ゆっくりと、上へ下へと揺れ動いていた。

まるで獰猛な獣がゆっくり息をしているみたいだ。私はそう返信した。割れた氷を波が持ち上げ、少しずつ向こうへと沖へと運んでいく様子を見ていて、ふとそんなことを思った。そう、まだ海はおとなしくしているようだったのだ。

春になると、獰猛な獣は勢いよく走り回る。ときどき吠えるような音をたてて、海の氷はうねりを上げて沖へ向かう。海を覆っていた氷、海の中に隠れていた氷、あらゆる氷が一斉に沖へ向かう。獰猛な獣が走り回る少し前、私と同い年の群島の友人が、海の表面に浮かぶ割れたばかりの氷の上をぴょんぴょんと楽しそうに飛び移る写真を送ってきてくれたことがある。これは私の夢のひとつだ。いつか私もやってみたい。こちらの氷からあちらの氷へなんて、ちょっと怖いけれどやってみたい。

実は海が凍っているときも、私たちは氷の音を聞くことがある。凍ったり溶けたりを繰り返した氷の塊が海水の中でぶつかり合う音、厚く覆われた氷の下にある氷の裂け目が軋む音。氷の下から聞こえる音はくぐもっていて、でも凍てついた空気を通して聞こえるそれは、響きわたるのだ。

くぐもった音、獰猛な獣の呼吸、海の氷が割れてぷかぷか浮いている氷同士が気まぐれに触れ合ったときの音、そして割れた氷が勢いよく動き始めたときの音。最後の音を初めて聞いたとき、「あ!これが春の大砲か!」と興奮した。『ムーミン谷の冬』にでてくる春の大砲。ためらいのない音、誰にも手に負えない勢い。それを聞いたときに、行ったり来たりしていた春の予感が、一気に春の到来を揺るぎないものにしてくれる気がした。今年は春の大砲を群島で聴いてみたいと思った。

手前は小さな波がたっているけれど、少し離れたところはまだ氷に覆われている海。

森下圭子