スナフキンの名言――知恵とユーモア、そしてありのままでいること【本国サイトのブログから】

スナフキンには、どこか不思議な魅力があります。時を重ねるうちに、スナフキンの言葉は、ひとつの哲学のように受け止められるようになりました。それは、権威的なものにひとりの人として立ち向かう姿勢や、しがらみにとらえられない自由な生き方です。誰からも愛され、誰からも縛られないスナフキンの素朴な知恵と静かな反骨精神は、今もなおインスピレーションを与えてくれます。ここでは、そんな「スナフキン体験」が味わえる場面や、スナフキンの最もスナフキンらしい名言の数々をご紹介しましょう。

無条件の自由、義務感ではないやさしさ、そして「芝生に入るべからず」というような立てふだに対する深い不信感。スナフキンは、自分自身の鼓動に合わせて生きることのシンボルになっています。スナフキンは情熱を犠牲にすることなく、人生を旅しているのです。
 
森の哲学者スナフキンは、人々を鼓舞するさすらいの旅人です。誰の心にも足跡を残していくのです。
テーマごとのスナフキンの名言はこちら↓
🎒 所有することについての言葉
⛺ 自由についての言葉
🎵 音楽についての言葉
😎 スナフキンを表す言葉

スナフキン自身の言葉

言葉数こそ少ないですが、スナフキンの言うことはいつも的確で、しかも人となりをよく表しています。思慮深く、皮肉屋で、反骨精神があり、もの静かで奥深い。それがスナフキンなのです。

それでは、スナフキンのとっておきの名言をご紹介していきましょう。――哲学的な会話や反抗的な行動にはご用心!

「所有すること」についての言葉

「自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でもな」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

「なんでも自分のものにして、持って帰ろうとすると、むずかしくなっちゃうんだよ。ぼくは見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときには、頭の中へしまっておく。ぼくはそれで、かばんを持ち歩くよりも、ずっとたのしいね」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

「でも、ぼうしはあたらしいのがいるでしょ」
スナフキンは緑色の古ぼうしをいっそう深くかぶり、おびえたようにおばあさんにいいました。
「ありがとう。でも、今も考えたんだけど、持ち物をふやすというのは、ほんとにおそろしいことですね」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

ムーミントロールはぼうしを手に取って、じっとながめました。
「すごくいいぼうしだね。スナフキン、きみにぴったりじゃない?」
「だめだめ、あたらしすぎるよ」
スナフキンは、自分の緑色の古いぼうしが気に入っているのです。
『たのしいムーミン一家』(山室静訳 講談社)より

どうしてみんながやたらに持ちものをほしがるのか、よくわからなかったのです。スナフキンときたら、服なんて生まれたときから着ている古ぼけたもので満ちたりていましたし(といっても、彼がいつどこで生まれたのか、だれひとり知りません)、ぜったい手放さない大切な持ちものといえば、たった一つ、ハーモニカだけでしたからね。
『たのしいムーミン一家』(山室静訳 講談社)より

スナフキンは、もみの木小屋を持ち上げて、ねずの木の林の中へ投げこみました。
「用がなくなったら、家はこうするのさ」
『ムーミン谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

「それはいいテントだが、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

自由についての言葉

「さあ、これから立てふだを、ぜんぶむしりとってやろう。もう、草だって好きなだけのびていいんだぞ!」
『ムーミン谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

「あんまりだれかを崇拝すると、本物の自由はえられないんだぜ。そういうものなのさ」
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より

「あいつはほんとうに思いやりのある、いいやつなんだよな。でも今はあいつのことは考えないぞ。ほんとにすばらしいムーミンだけど、今、考えなくていいんだ。今夜は歌のことだけを考えよう。明日は明日の風が吹くさ」
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より

「それで、ずっと帰ってこないの?」
「いや。春のいちばん初めの日には、ぼくはまたここへもどってきて、窓の下で口笛を吹くよ。一年なんか、あっという間さ」
『たのしいムーミン一家』(山室静訳 講談社)より

「まあいいや。下着とかで、涙をふけばいいさ。それともなにか、今持ってるものでね」
『ムーミン谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

「気が向けば、帰るさ。もしかしたら帰らないで、べつのとこへ行くかもしれない」
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より
(ティーティ・ウーからムーミントロールがスナフキンの帰りを待ち望んでいることを聞いて語った言葉)

「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、わかってるってことだよ」
『ムーミン谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

「ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへ行く」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

いつも愛想よく、というわけにはいくまい。そんなの、やってられないもんな。
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より
(ティーティ・ウーに出会った後のスナフキンの言葉)

「ぼくたちは、本能にしたがって歩くのがいいんだ。ぼくは、コンパスなんか信用したことがないね。方角に対する自然な感覚を、おかしくするだけさ」
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

音楽についての言葉

「歌を作るのにもってこいの晩だぞ」
こう、スナフキンは思いました。あたらしい歌――最初の部分はあこがれ、つぎの二つの部分は春のものがなしさ、あとは気ままにぶらついて、ひとりでいられるという大きなよろこびです。
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より

けれども、今晩はきっとだいじょうぶ、とスナフキンは感じていました。しらべは、もうほとんどできあがって、そこに待っていました。しかも、今まで作ったどの歌よりも、すばらしいものになりそうでした。
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より

夜明けの光がしらじらとさしはじめるころ、スナフキンはあの五小節をつかまえに、海辺へ出かけていきました。岸に打ち上げられた海草のかたまりや流木をまたいで砂浜に出ると、じっと待ちました。すると音たちが、すぐにやってきたのです。こんなだったらいいなあと思っていたよりも、もっと美しく、かざり気のないものでした。
『ムーミン谷の十一月』(鈴木徹郎訳 講談社)より

その他の名言

ハーモニカの音がやんで、テントからムムリクがあらわれました。緑色の古びたぼうしをかぶって、パイプをくわえています。
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より
(スナフキンが初めて登場するシーン)

スナフキンは落ちついていて、なんでもよく知っています。けれども、自分の知識をひけらかすようなことはしません。スナフキンから旅の話を聞かせてもらえると、だれでも自分もひみつの同盟に入れてもらったような気がして、得意に思うのでした。
『ムーミン谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

スナフキンは、自分のしたいことをぜんぶ禁止している立てふだを、残らず引きぬいてしまいたいと、これまでずっと思いつづけてきました。ですから、
(さあ、今こそ!)
と考えただけでも、身ぶるいがするのでした。
『ムーミンの谷の夏まつり』(下村隆一訳 講談社)より

自分の食事は自分で作るので、なれたものです。スナフキンはよっぽどのことがなければ、だれかのために食事をこしらえることはありませんし、他人の食事のことなんか気にしません。だれかと食事をすると、おしゃべりもしなきゃなりませんからね。
『ムーミン谷の仲間たち』(山室静訳 講談社)より

スナフキンはいつもの、なにやらわけのわからない声を出しました。わかったよ、でも、いいたすことはなんにもないよ、という意味でした。
『ムーミン谷の十一月』(鈴木徹郎訳 講談社)より

夜中にスナフキンと出かけられて、とてもほこらしい気持ちでした。今までだったら、スナフキンは夜の散歩に、ただひとりで出かけていたのですから。
『たのしいムーミン一家』(山室静訳 講談社)より

八月五日。もはや一羽の鳥も歌わなくなっていました。太陽はぼんやりかすんで、見えないくらいです。けれども森の上には、火のついた車輪のような彗星がどっしりいすわっているのでした。
スナフキンは、ハーモニカを吹く気になれませんでした。彼は、ひとりで考えこみながら歩いています。
『ムーミン谷の彗星』(下村隆一訳 講談社)より

スナフキンのこのふしぎなパパは、本当は心配しなければならないことでも、まったく気にとめませんでした(わたしがもしこの思い出の記で、彼にふれなかったら、この人が後世に残ることはなかったでしょうね)。
『ムーミンパパの思い出』(小野寺百合子訳 講談社)より

スナフキンは落ちついて、足音をしのばせながら歩いていきました。まわりはすっぽりと、森につつまれました。
雨がふりだしました。スナフキンの緑色のぼうしにも、ぼうしとおそろいの緑色のレインコートにも、雨が落ちてきました。さらさら、しとしとと、雨の音があたり一面に広がっていきました。
森にかくれたスナフキンは、なごやかでとっておきの孤独を感じていました。
『ムーミン谷の十一月』(鈴木徹郎訳 講談社)より

スナフキンをスナフキンたらしめるもの

これらの名言はスナフキンについて何を語っているのでしょう?

スナフキンは議論を始めることよりも、川辺で昼寝をするのを好む革命家です。何も持たず、ほとんど何も望まず、でも、どういうわけか周りの人々に自分の感じている義務とは一体何なのだろうと考えさせてしまうのです。
彼は権威には憤りではなく、静かな反抗心で挑みます。ときどきはその冷静さが崩れることもあるのですけどね。帽子をかぶったアンチヒーローであり、決まりを破ることだって恐れません。ただ草が自由に伸びることができるように、公園番の看板をすべて引きぬいてしまったことだってあります。
でも、スナフキンの自由には影もあります。スナフキンが孤独と独立を求めれば、ときには誰かを置き去りにしてしまったり、傷つけてしまうことさえあるのです。ムーミントロールは、冬の間スナフキンが旅に出てしまうたびに、とてもさみしく思い、スナフキンには望むことができない、もっと深い友情が欲しいと願ってしまうのです。また、森の小さな生きものティーティ・ウーは、ただ誰かと一緒に焚き火のそばで温まりたかっただけなのに、スナフキンの一人の時間を邪魔したために、いらだったスナフキンに冷たくあしらわれてしまいました。

世間体を気にする人がいる一方で、スナフキンは気にしないという技に長けています。「気にしないこと」がカッコいいと言われるようになる前から、スナフキンは気にしていなかったのです!テントはつつましく、持ちものはわずかで、言葉はシンプルで力強い。まさに元祖ミニマリストなのです。
スナフキンは自分の音楽的哲学を通して、創造性とは「支配」からではなく、「自由」から生まれるということを思い出させてくれます。スナフキン自身の言葉を借りれば、歌とは「もうほとんどできあがって、そこに待っている」ときにのみやってくるのです。

スナフキン効果

このスナフキンの哲学は世界中のファンの心に広く響いているようです。スナフキンはファンを最も魅了するキャラクターの一人です。
それはきっと、いつもああしなさい、こうしなさい、と指図される世の中で、スナフキンが自由に生きる術をマスターしているからなのかもしれません。または、シンプルに生きるという人生の難しい教訓を自然に身につけているからなのかもしれません。持ちものを減らし、より多くのことを感じ、ナンセンスなことには抗うこと。まさに、今日の混沌とした世界に必要なことです。

ネット上でも、この「スナフキン効果」は見逃せません。ハーモニカのカバー演奏や、コスプレ、スナフキンのファンアート、#Snufkin のタグが付いた森の写真、そして「ひとりで歩くこと」や「ひとりで歩くのが好き」というような言葉の引用がたくさん投稿されています。

残念なことですが、スナフキンは長く留まることはありません。川を辿り、星を見上げて歩き出し、メロディーを生み出さなければならないのですから。

翻訳/内山さつき