読み手の心を慰める本―ムーミンの物語に隠された秘密【本国サイトのブログから】

気候変動やパンデミック、戦争。今なお続く危機的な状況にさらされたとき、ムーミンの物語は私たち読者の心を慰めてくれます。
それは一体なぜなのでしょう?
トーベの小説、特にムーミン小説には、度々洪水や彗星、避難する人々、「見慣れないものへと変貌してしまう世界」というテーマが描かれているのにも関わらず、多くの国際メディアが、ムーミンの物語を、私たちの心を落ち着かせてくれるものとして取り上げています。
ムーミン小説の設定の中には、暗くて恐ろしいものもありますが、こうした危機に立ち向かうキャラクターたちには、読者の心を励まし、慰める何かがあるのです。

1946年に出版された『ムーミンの谷の彗星』は、第二次世界大戦末期に書かれたものです。この物語の中には、ムーミントロールが迫りくる彗星を見て、地球がどれほどこわがっているのか想像するという一節があります。

(あんな火の玉が飛んでくるのを見て、地球はどんなにこわがっているだろう。ああ、森や海や、雨や風、そして太陽の光や草やコケ、ぼくはどれも好きでたまらないのに。もしもみんななくなってしまったら、ぼくはとても生きていけないな)
けれども、しばらくしてこう思いなおしたのでした。
(みんなどうすれば助かるか、きっとママなら知ってるよ)

『ムーミンの谷の彗星』(トーベ・ヤンソン/作 下村隆一/訳 畑中麻紀/翻訳編集 講談社)より

近年のコロナ禍におけるロックダウンや、現在のロシアのウクライナ侵攻を受け、ヤンソン文学は、ガーディアン紙、ニューヨーク・タイムズ紙、ニューヨーカー紙、シアトル・タイムズ紙などの国際メディアで頻繁に取り上げられています。

リチャード・W・オレンジは、科学、哲学、社会、芸術の分野で活躍する思想家の記事を紹介するデジタル雑誌『Aeon』に掲載されたエッセイの中で、北欧児童文学の巨匠であるトーベ・ヤンソンとアストリッド・リンドグレーンを分析し、次のように述べています。「世界的なパンデミックや、迫りくる環境危機、そして分裂と憎悪を煽るポピュリストの政治家たちによって分断された世界では、自由とやさしさ、寛容のメッセージが、かつてないほど必要とされている」

不思議なほど親しみやすいトロールが登場する物語

気候変動をテーマにしたフィクションで有名な世界的ベストセラーを持つアイスランドの作家、アンドリ・S. マグナソンと、彼の作品を出版するソート・オブ・ブックスのマーク・エリンガムは、ムーミンの物語は、現実世界と私たち人間を強く想起させるのではないかと分析しています。

以下の動画は、2022年にアイスランドのレイキャビクで開催されたトーベ・フェスティバルの様子です。児童文学がこの問題にどのように取り組んでいるかについて、2人がディスカッションしているのを見ることができますよ。

「当時のトーベ・ヤンソンの作品に、怒りや憎しみが見られないのは驚くべきことです。戦時下においては、『善』と『悪』のメタファー、あるいは『善』対『悪』のメタファーが作り出されるのは明白なことです。例えば、J・J・R・トールキンが描いたオークのように――オークは敵のメタファーですが――。そして、彼らは基本的には人間ではないのです」と、マグナソンは指摘します。

ムーミントロールはあまりにびっくりして、一歩前へ出ました。モランが自分に会えてよろこんでいるのは、うたがいのないことでした。(中略)
ムーミントロールは、モランのおどりがおわるまで、じっと立っていました。それからモランが、足を引きずり引きずり海岸にそって遠ざかっていくのを、ながめていました。モランが行ってしまうと、ムーミントロールは海岸の砂地へ下りていって、砂にさわってみました。
もう凍ってなんかいませんでした。砂はいつもの砂で、逃げもしませんでした。

『ムーミンパパ海へいく』(トーベ・ヤンソン/作 小野寺百合子/訳 畑中麻紀/翻訳編集 講談社)より

マグナソンは、トーベ・ヤンソンのムーミンは、人間ではないものの、とても人間らしく感じられると述べています。「ムーミンはほとんど人間の原型のようなものです。自分たちに降りかかる出来事をコントロールすることはできず、彼らができることといえば、それにどう対処するかだけなんです」

ジャーナリストのシェイラ・ヘティもまた、『ニューヨーカー』の記事で、ムーミンの魅力、その不思議な親しみやすさは、ムーミンたちの人間らしさにあるのではないかと書いています。
「トーベ・ヤンソンの作り出した、謎めいたキャラクターの人気の理由は何なのだろう? ひとつは、ヤンソンの知的な親密さとユーモアが、本や手紙に反映されていることだろう。彼女は、戦後の多くのアーティストとは異なり、ニヒリズムやフロイトに触発された暗示的で無秩序な夢の風景を描くような運動には惹きつけられなかった。その代わりに、彼女はモラルある安心できる世界と、私たちと同じような問題を抱えた魅力的なキャラクターたちを創り出したのだ。ムーミンはかわいらしいというより、不思議な親しみやすさがある。まるでヤンソンがふと新しい方向に目を向け、ずっと私たちと一緒にいた、やさしくてまじめな生きものを見つけたかのようだ」

ムーミンの本と戦争の影

「1939年、戦争の冬のことです。仕事はぱたりといきづまり、絵を描こうとしてもしかたがないと感じていました」と、トーベはムーミンの最初の物語『小さなトロールと大きな洪水』(1945年初版)の序文に書いています。
トーベがこの物語を執筆し、挿絵を描いたのは、第二次世界大戦中、フィンランドがソ連と戦っていた冬戦争のさなかでした。戦争の時代はトーベにとって色彩が消えてしまったように感じたほど、つらい時期でした。
『小さなトロールと大きな洪水』は、ムーミントロールとムーミンママが大洪水で行方がわからなくなったムーミンパパを探してさまよう物語です。ムーミンパパを探して暗くて陰鬱な森を冒険する間に、ムーミントロールとムーミンママは、洪水から逃れてきたさまざまな人たちに出会うのです。

「どんなものでも、暗闇の中では、おそろしく見えるのよ」

ムーミンママ『小さなトロールと大きな洪水』(トーベ・ヤンソン/作 冨原眞弓/訳 講談社)より

戦争の影と危機は、トーベが次に書いた『ムーミンの谷の彗星』(1946年)や、『ムーミン谷の夏まつり』(1954年)にも登場します。洪水、災害、危機は、ムーミン谷の物語に度々描かれてきました。例えば、『ムーミン谷の夏まつり』では、ムーミン谷は再び洪水に見舞われ、ムーミンたちは家から逃げ出して、流れてきた劇場に避難することになるのです。

『小さなトロールと大きな洪水』『ムーミン谷の彗星』『ムーミン谷の夏まつり』『ムーミンパパ海へいく』の情報はこちらから

翻訳/内山さつき