(192)島暮らしと発酵【フィンランドムーミン便り】

トーベ・ヤンソンのパレット

森に自生しているブルーベリーを摘んだら、最初にどう食べるか。ブルーベリーにミルクと砂糖を加えたブルーベリーミルクと決めている人の話をよく聞く。私が最初に教わったのもその食べ方。以来、私はミルクと砂糖を用意し、まず摘みたてのブルーベリーはそれでいただいて、次にパンやタルトやケーキを焼いた。するとペッリンゲの小さな島で夏を過ごす人が「私にもブルーベリーを摘んだらまずこれっていうお決まりがあるの」と教えてくれた。

ペッリンゲはトーベが子どもの頃から夏を過ごした群島の地域。その人はブルーベリーにタルックナとヴィーリを加えるという。タルックナとは焙煎したオオムギやライ麦、オーツ麦やえんどう豆の粉で、確かにこれとブルーベリーを混ぜていただく人の話はよく聞く。ヴィーリとは発酵乳で、びよーんと伸びるヨーグルトみたいなものなのだけれど、これを加えるというのは初めて聞いた。

ヴィーリと聞いてふと思い出したのがトーベ・ヤンソンの買い物リストだ。缶詰や日持ちしそうな野菜に続いて、ヴィーリとロングライフミルクがあった。ヴィーリを1パック、そこへロングライフミルクを1リットル加え発酵させて、全部をヴィーリにする。当時の店主によると、ヴィーリを増やすための買い物だったそうだ。

開封してからの日持ちは牛乳より長くなるし、そうか、電気も水道もない島で暮らすというのはこういうことなのかもと思った。

そういえば、ペッリンゲの人たちがトーベとの特別な時間や思い出を語ってくれる瞬間というのも、正しいタイミングまでの発酵時間をじっくりと待つようなところがある。取材だと同じエピソードが繰り返されるけれど、何の気ないときに、聞いたことのない特別な話が切り出されるのだ。

時どきペッリンゲの海の写真を見返す。海だというのにさざ波ひとつ立たない水面に映る夕焼け、雨の日、かもめが吹き飛んでいきそうなくらい風の強い日の海、嵐、秋、明け方、夕暮れ、カモメが巣立っていく日、雨雲がじりじりと近づいてくる時の海の色の濃さ。トーベ・ヤンソンの弟プロッレ(ペル・ウーロフ・ヤンソン)の自宅に飾ってあったトーベのパレットには、それらの色が待機していた。

パレットそのものも作品のように魅力的だけれど、それは発酵を待つ色たちなのだ。もうすぐペッリンゲに行く。そしたらパレットの色を思い出しながら、ペッリンゲの海を眺めたい。私じしんの中に何かが発酵していくのを待つ時間、何かの時が満ちるタイミングが訪れるかもしれない。

島暮らしに便利な発酵乳ヴィーリとブルーベリー

森下圭子