(187)青い景色の中で【フィンランドムーミン便り】


空気が青く染まるこの時間を大切にする人は多い

フィンランドで初めて観たムーミン劇は市立劇場のロビーだった。おじさんが一人で操る人形劇で、そこにいる子どもたちと叫んだり笑い合ったりしながら、いつの間にか子どもたちは物語の世界に入り込んでいた。おじさんの名はユハ・ラウッカネン。2月になって間もなく、新聞で彼の訃報が伝えられた。フットワークを軽くするため、ひとりで演じる人形劇を貫いたという。ユハの人形劇は、生きる上での困難を扱うことも多かった。

ムーミンの物語にモランは欠かせないよ。
彼はそう言った。全国の病院や保育園で人形劇を続けたユハは、年間の上演数が軽く200を超えたという。レパートリーは人形劇の定番やムーミンだけでなく、フィンランドの偉人伝などもあった。私が最後に見たユハのムーミン人形劇は『ムーミン谷の冬』。2015年のことだ。国立劇場のロビーで、青い光に包まれるようにして、私たちは冬の世界に入り込んだ。

劇場の青い光は、フィンランドの人たちがよく口にするブルーアワーを思わせた。日の出の頃と日没の頃に空気が青く染まったように風景が青くなる時間がある。または月明りを受けた雪景色の中にいるようでもあった。あの人形劇ではきっと月明りのほうだ。青い世界はどこか幻想的で現実離れしている。ここではないどこかにいる気分。そうやって一日のうちに、少しでも現実逃避できる瞬間があるのは、どこか救われるような気もした。

70年代から80年代にかけてポーランドで人形劇を学んだユハ。冷戦時代のことだ。21世紀に入り、自分の人形劇のスタイルがある程度確立されると、人形劇の理解をさらに深めたいとアジアを旅した。そんな彼の豊かな経験をもって2015年に語られた「ムーミンの物語にモランは欠かせない」という言葉について、改めて考えている。彼は病院や保育園の子どもたちに、モランを通じて何を伝えようとしていたのだろう。『ムーミン谷の冬』は、作者のトーベ・ヤンソン自身はもはや子ども向けとは思っていなかった。それを敢えて小さな子供に向けて演じようとしたユハのことを、雪に覆われたヘルシンキの森を歩きながら考えている。


フィンランドではスナフキンよりもモランやスティンキーを選ぶ男性が多い

森下圭子