(154)みんながムーミンを読んでいたら

トーベ・ヤンソンのお墓はヘルシンキの海沿いにある大きな共同墓地の一角にある。この墓地にもリスやウサギ、さまざまな鳥が飛び交っている。

5月に入り、首都ヘルシンキの街ではいたるところで木々が葉を広げはじめ、勢いよく春が深まっている。

特に今年は人々の暮らしがこれまでとは違う。外での散歩と適度な運動が推奨されているフィンランドでは、行動制限の期間を自然の中で過ごす人が多かった。ヘルシンキの森は街なかのデパートよりも人が行き来していて、でもなぜか、自然に暮らす生きものたちは、より人に近いところにやってきている気がするのだ。いや、確かに近くにいる。

私たちが自然の中で改めて感じるさまざまなことにより、私たちはひょっとして、自然に対して少しは謙虚になれたのか。今年は鳥たちがさして逃げもせず、人が近づいてもそこに一緒にいてくれる。もしかすると鳥たちは私たちの事情を察してくれているのかもしれないし、たまたまかもしれない。ただ私は、じっと近くにいてくれる鳥にほっとしている。そして鳥だけでなく、ウサギやリスなどヘルシンキの街なかで出会う生きものたちは、総じて私に付き合ってくれる。もみの木の新芽を摘んでいたら、様子を見に来てくれるシジュウカラ。餌をねだるリスはよくいたけれど、こうやって様子を見にきてくれるなんて初めてのことだ。

人同士にも変化がでてきた。森の中にいてソーシャルディスタンスを意識し距離を離していても、すれ違いざまに、ふと笑顔を見せあう瞬間。さまざまな生き物が一緒にいて、お互いがなんとなく空間を共有しているひととき。ふと、ムーミンのことを思い出し、そういえば、ムーミンはいろんな見た目の住人たちが、当然のように一緒に暮らしているなと考えて、改めて周囲を見渡す。このご時世に、この体験をしていることは、私にはとても大きかった気がする。

ある方がお子さんの遠隔授業でムーミン美術館のガイドツアーの動画を見るという課題があったことを教えてくれ、さっそく探してみたところ、フィンランド放送の動画アーカイブの中にそれはあった。ムーミン美術館の中を一緒にめぐる動画の最後は美術館の目玉でもある、ムーミン屋敷の立体作品の前だった。ムーミンの物語のように、ムーミン屋敷に辿り着いたところでガイドツアーも終わるのだそう。

この動画の中で学芸員の女性は小学1年生のグループと一緒に回ったときのことを話してくれた。ムーミン屋敷の前に辿りついたとき、一人の男の子がこういったそうだ。「もしみんながムーミンを読んだなら、世界は、もっと良い場所になるのに」。

人と自然に生きる生き物たちの境界線がそれほど感じられなくなってきている今、ムーミンを思い出した自分の環境を考えると、私はこの小学一年生の男の子の言葉に深く頷いてしまうのだった。

フィンランド放送(YLE)のムーミン美術館ガイドツアーの動画はこちら

近づいてもへっちゃらなだけでなく、仲良くなれそうな気さえする。トーベ・ヤンソンが仲良くなりペッルラと名前までつけたかもめのことを思い出す。

森下圭子