(70)島の暮らしの上映会

トーベ・ヤンソンが大好きな人たちとドキュメンタリーを観ることになった。芸術家たちのアトリエが並ぶ小さな島で。もちろん船に乗って行く。

霧の濃い夕方で、海のあちこちから霧笛が響いた。そして私たちの船は、いつまでたってもやってこない。そんな時に「ああトーベっぽいよね」とお互いに笑ってしまう。寒くて凍えそうで、霧は濃くなるばかり。目の前のはずの島すら見えない状況になって、なんだかウキウキしてしまう。トラブルに心が少し躍ってしまう感じは、まさにトーベだ。そういえば、フィンランドの人たちはロマンチックな風景を目にするとチェーホフ風と呼ぶ。

ドキュメンタリーは世界旅行の旅先で買った8ミリカメラで撮影したクルーヴハルでの25年の夏をまとめた島暮らしの作品。実は私がフィンランドの人たちと大勢で観たのはこれが初めて。みんながどんなふうに反応するのか興味あった。

みんなよく笑う。とにかく嬉しそうに笑うのだ。トーベが踊ると皆が嬉しそうに笑う。踊りも長靴をはいて岩を降りてくる踊りがあれば、シルエットで見せる踊り(このときの音楽は『花のサンフランシスコ』じゃなきゃ嫌だと本人が強くリクエストしたそうだ)、猫を抱えてくるくると回る踊り。時おりトゥーリッキ・ピエティラの、器用に島で働く様子が映し出される。フィルムを編集しているところ、魚のはらわたを取り出すところ、テントを縫い付けているところ、魚をしかける網を直すところ...そしてトーベといえば、踊ったり寝転がっていたり。そんな二人の様子の合間に自然がいろんな表情をして語りかける。これを観ながら私たちは大いに笑い、自然の美しさに感動し、そして自然のなせる技と自然の力には自分の体験を思い出し頷く。

上映会の後はみんなで話しをという予定だったのに、もう言いたい伝えたい気持ちが抑えられない。何かを伝えたくて仕方のない人たちばかりで、笑っちゃうくらいに人の言葉に耳を傾けず、あちこちからいろんな声が飛んでくる。でも、そんなに必死だったのは、この夜、なんとなく皆のなかで「この作品はトーベとトゥーリッキの遺言である」という気持ちが強かったからだろう。このためにトーベが特別に書いたテキスト、編集を手がけたうんと年下の映像作家ふたりが言葉をはさめないくらい、トーベとトゥーリッキには構成も使いたい映像も頭の中で完成していて妥協することを許さなかったという背景。ふたりの生き様と彼らの自然観、生きること、イノチについて、上映会はあっさりお開きになった。たぶん、それぞれの心に、あまりにも沢山の個人的な思いが巡りはじめていたことをお互いが理解していたからだろう。

森下圭子

このつるつるっとした岩肌はフィンランドの群島ならでは。小屋の四方の窓から見える景色は、海だけでなく島の岩もまったく違う。

このドキュメンタリーを観たフィンランドの人たちが特に印象に残ったというのが「石」だった。