(137)冬景色と、もみの木

雪をかむったもみの木は、より一層、中に入り込めば周囲から守ってくれそうな風情で佇んでいる

フィンランドのクリスマスは、まるで『もみの木』(短編集『ムーミン谷の仲間たち』に収録)の世界だ。クリスマスを控え、せわしなくなる感じや幸せそうな様子、ちゃんとやらなきゃという準備のストレス、さらにクリスマス当日を迎えたときの神聖な空気などが折り重なっている。

いつも冬眠するため「クリスマス」がなんなのか分かっていないムーミン一家。「クリスマスさん」という人がやってくると思いこみ、必死でクリスマスさんに備える。そして皆がもみの木を用意しているのを見て、自分たちももみの木を手に入れることにする。

なぜもみの木が必要なのか。お守りなのかな、それとも中に隠れて危険をやわらげようとしているのかなどと、ムーミンたちは考える。

クリスマスイブの日。私と友人一家は、自分たちのクリスマスツリーを見つけに森へ行った。友人一家は枝ぶりのバランスがいい一本を選び、私はひとり森に残って、あちこち歩いた。夏にずいぶん歩いた森というのに、雪の中で見る森は、ずいぶんと勝手が違った。雪が音を吸収し、しんとしている。-10℃の空気はキンとしている。静寂と凍てついた空気の森では、普段は気にならない自分の吐く息すら、大げさに感じられる。

じっと耳を澄ましていると、小鳥の囀り声が時おり響いてきた。森の中で小さな命が元気よく聞こえてくるのは、なんとも嬉しい。凍てついた空気がふとやわらぐ。鳥の姿を一目見たくてあたりを見回すのだけれど、姿を見ることは一度もなかった。ああ、もみの木の中かもしれない。そう思った。

葉をつけたままのもみの木は、その中が守られているようだった。雪からも、凍てついた空気からも守られた場所。危険がやわらぐ空間。そんな風に、小さな生きものたちが息をひそめ、時に喜びの歌を歌ったりしながら生きているのかなと思った。

フィンランドではクリスマスにツリーは欠かせない。今もほとんどの家庭で、生のもみの木を用意する。私は「これ」と思うもみの木を決めて、森を後にした。私にはそれほどクリスマスの伝統が根付いていない。どこか、ムーミン一家に近いのかもしれない。もみの木はそのままにして、中で守られている小さな生きものたちが迎えるクリスマスの様子を想像することにした。もみの木には幸せが宿っている。

森下圭子

トーベ・ヤンソンは画家として、その色づかいが若い頃から評価されていた。フィンランドで生活していると、その風景や色合いがそのままムーミンの世界に通じることがあり、今もはっとすることがある。