(134)秋の別れ、島が恋しくなること

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トーベ・ヤンソンが夏を過ごしたクルーヴハル島の小屋は、夏のあいだ、今も誰かが暮らしている。そして海が荒れる秋9月、島を管理する人たちで小屋の冬支度をし、扉に鍵をかけて島を後にする。本当は鍵などかけたくないのだけれど、ムーミンやトーベ・ヤンソンという名前があまりにも大きくなりすぎてしまった。

クルーヴハルに夏小屋を建てる前後の時期、トーベ・ヤンソンは島についての詳細なメモや調査、考察をしている。ちなみにムーミンの童話シリーズの中でも島が際立っている『ムーミンパパ海へいく』が出版されたのは1965年だ。

1961年、トーベ・ヤンソンは『島』というコラムを書いた。

 海はすべてが、ただ黒かった。新しい風が勢いをつけてやってくる。風は水面に触れ波紋を描くことなく、こちらに向かってやって来た。
 私は、本能に従ってボートを漕ぐ。あそこには安全な大陸がある。静かに眠る家があり、その向こうには灯りに照らされた街がある。そこは私の住むところ、私が属する場所、そこは冬のすべて。

フィンランドの冬は長く厳しい。でも小さな島を去るのは、そんな冬がやってくるずっと前、光の加減が静けさをもち、木々の葉を、風がひと吹きふた吹きと強く吹いては落としていく、秋の頃だ。

生き生きとした夏と、静かに眠る冬の狭間の秋。島とヘルシンキ(大陸)を繋ぐ海を、トーベは自分の手で漕いでわたっていく。コラムの最後、トーベはふと漕いでいた手を止める。

読んでいると、とつぜん寂寥感が漂う。秋というのはなんともの哀しいのだろう。そういえば、スナフキンが旅にでるのは秋だ。秋の別れは夏と冬のあいだに漂う秋特有の匂いがする。夏の生命力とか夏の眩しさを忘れ去らせるほどの風が吹き(トーベ・ヤンソンが作詞した『秋のしらべ』の中でも、こんなことを表現している)、秋はじりじりと冬に続いていく。秋の別れは、そして冬にひっそり忍び込もうとする。

トーベ・ヤンソンは『島』と題したコラムの最後をこう締めくくる。

逃避行のなかで、私はたまらなく島が恋しくなったのだった。

ここでいう逃避行とは冬の暮らしのことだ。秋の別れというのは、冬にふと思い出し、たまらなく恋しくなるのかもしれない。そういえば、冬に冬眠から覚めてしまったムーミンも、スナフキンが旅に出る前、10月に置いていった手紙を急いで探しにいっていたっけ。

引用:
Tove Jansson著
”Bulevardi ja muita kirjoituksia”より
(訳は筆者本人)

森下圭子

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