(173)誰かの記憶にだけ残るイベント

小さな女の子が自分みたいだからとトーベに描いてもらったリトルミイ

その絵はもうだいぶ長いことそこにあって、それを見たことのある人は100人を超えるのかもしれない。人伝えにその絵の存在を知り写真を見て、一目でトーベ・ヤンソンがちゃちゃっと描いたときのムーミンたちの絵だと分かった。絵の持ち主に会いたい。
連絡してみると、その人は少し訝し気な様子で言った。「私、個人的にトーベを知ってるわけじゃないし」……でも私はそんな人の思い出を聞きたかった。私はペッリンゲという群島地域でも、ある日ふと誰かが思い出してくれるトーベの印象や思い出をそれぞれの人たちのペースに合わせてゆっくり集めていることを話した。
トーベと仲良くしていた大人たちの後ろからトーベを眺めていた子ども、島の人たちに語ることはないけれど、実は交流のあった人、小さな声の人たち、声なき人たちの声は、あるときふとした拍子でこっそり何かを教えてくれたり、あるいは堰を切ったように夢中で話してくれたりする。

するとその人も突然、自分がどれだけムーミンが好きだったかの話をしてくれた。ムーミンを読むとね、皆それぞれに強烈な個性があって違っていて、それを肯定しているのがとにかく読んでていいなあと思ったのだという。人はつい相手のことを自分の見たいように見ようとし、しまいには何かを強いるようにしてしまったり、または他者を何かのくくりの中に入れてしまおうとする。そうでないのがとっても好きだったのだそうだ。
小さな頃にそんなことを考えていた女の子。この女の子は、新聞で大好きなムーミンの作者トーベ・ヤンソンが美術館にやってくるという告知に気づいた。親とでなく、子どもだけで行きたい。そう思った女の子は、いとこのお兄さんを誘って行った。

行ってみると子どもはほとんどおらず、そんな中でトーベは本を読み、そして好きな絵を描いてくれた。子どもが少なかったこともあり、女の子は自分の好きなキャラクターのミーサから始まり、自分によく似たリトルミイ、そして親がすきなキャラクターなど次々と描いてもらい、そしてそれらを貰って帰ってきた。「なんかね、誰も何も言わないのよ。それに欲しがりもしなくって」というのを聞いて、ああフィンランドっぽいなあと思った。

あまりに昔のことで、いつだったかはっきりしないという。おそらく70年代ということと美術館の名前だけは教えてもらった。早速美術館に問い合わせてみると、フィンランドのコミックス展があってトーベのムーミン・コミックスも展示されていたことがあったということが分かった。1971年のことだ。
ところが、トーベが美術館でイベントをやった記録が一切残っていないという。展示の新聞記事も、通常イベントをやっていたら残してあるはずの写真も、美術館には何ひとつないという。美術館は、別の美術館だったのではとすら言いだす始末だ。

でも女の子が50年、大切に持っている絵は正真正銘のトーベの絵だ。いくつかの絵のうち、何作品かのひとつだけではあるものの、トーベのサインと女の子の名前が書かれている。ああ、わくわくする。どうやってこの物語の続きを見つけようか。ときには記録として残っているものよりも、人の記憶のほうが確かなことってあるのだ。そして人の記憶を辿りながら旅をするのはとても楽しい。まずはいとこのお兄さんかな。

メリー・クリスマス!

小さな女の子が大好きだからとトーベに描いてもらったミーサ

森下圭子