(172)踊るトーベ・ヤンソン

ムーミンはチョコやフィギュア入りのアドベントカレンダーだけでなく、何かが入ったクリスマスツリーの飾りもある。こちらはノードクヴィストのフレーバーティー8袋入り。

80年代のこと。写真家・木之下晃さんがフィンランドの招聘でフィンランドの音楽家たちを撮影することになった。なぜ日本の写真家をわざわざ招聘して?と思うかもしれないけれど、指揮者カラヤンがプライベートの撮影を許した数少ない写真家のひとりだったことも関係しているのかもしれない。木之下さんご本人はその旅で会いたい人がいた。トーベ・ヤンソンだ。なかなか許可が下りなかったけれど、直前に30分だけならと言われた。

ところが実際に会ったところ、意気投合し、会は30分どころか3時間を超えた。その時の音源を聞かせていただき、音源として残っていない部分を木之下さんがお話しくださったことがあった。

そのとき通訳をしてくれたのが日本人の音楽家たちだったこともあってか、よく聴く音楽は?という質問、かと思えば島の話、新しい企みなど、トーベ・ヤンソンは嬉々として答えていた。パートナーのトゥーリッキ・ピエティラ(トゥーティ)も同席していて、一緒に会話を楽しんでいるものの、途中で皆の食事を気にかける気の配りようだった。

このときトーベは日本の人たちが来たからと、芸妓さんの踊りを踊りだしたのだった。初来日の際に連れていかれたところで唄を録音していたらしい。唄をうたいながらしなを作って踊るトーベ。絶好調だ。30年ほどの年月を経ても、木之下さんはその場面をよく覚えていらした。

トゥーティとトーベが撮りためた8㎜を再構成して作った映画三部作の一作目『トーベ・ヤンソンの世界旅行』ではトーベ・ヤンソンがハワイで自分なりのフラダンスを踊っている。外国人観光客たちのフラダンス教室シーンも滑稽で面白いけれど、自分のフラダンスは?と、それが待ち遠しい様子だった。

続く二作目『ハル、孤独の島』では、自分がクルーヴハルで踊るシーンを必ず入れるよう監督たちに指示した上、踊りに合わせて「花のサンフランシスコ」を流すようにと伝えたくらいこだわった。

75歳の誕生会でも、踊りだしたら止まらず、何時間でも少女のように踊っていたという。

音楽?なんでも聴きますと、木之下さんのインタビュー音源では答えていた。踊りもまた芸妓の真似やら自己流のフラダンス、前衛芸術の彷彿とさせる踊り。記録に残っているトーベの踊る姿はとても自由だ。そしてトーベの踊りを目の当たりにした人たちの話しっぷりは、いつも楽しそうだ。

トーベ・ヤンソンの夏の島クルーヴハルの7月はかもめで賑やか。雛たちが単独であちこち動き回る時期、ふわふわした毛は島の岩の迷彩になっている。うっかり雛に近づいてしまうと親かもめが威嚇するような声で教えてくれる。それでも雛に気づかないで近づいてしまうと、親かもめに攻撃されることも。

森下圭子