
フィンランド大使館で行われたトークセッションの様子をお伝えします!
2025年は、1945年にムーミンの最初の小説『小さなトロールと大きな洪水』が出版されてから80年を迎えます。この記念すべき年を祝って、さる6月、フィンランドからムーミンキャラクターズ社の会長でトーベ・ヤンソンの姪であるソフィア・ヤンソンさんと、代表のロレフ・クラクストロームさんが来日しました。
フィンランド大使館で行われた、日本のメディアを交えたトークセッションの様子をお伝えします!
――ソフィア・ヤンソンさんは、トーベの姪御さんでもありますが、トーベはどんな人だったのですか? どんな思い出がありますか?
ソフィア 子どもの頃、私はトーベがそんなに特別な存在だとは思っていませんでした。トーベは伯母で、家族の一員だったのですから。でも、少し大きくなって10代の前半くらいになると、どうしてこんなに日本から多くの人がトーベを訪ねてくるんだろう? と思うようになりました。1960年代になると、日本の芸術家や翻訳家たちがトーベとパートナーのトゥーリッキ・ピエティラに会いに、夏の間彼女たちが暮らしていた群島まで訪ねに来ていたからです。こうした人たちの中に、折り紙が上手な女性がいたことを覚えています。彼女は素敵な人で、他の大人たちとトーベが、ムーミンや今後のプロジェクトについて話し合っている間、折り紙を折って私を楽しませてくれたんです。ご存知の通り、日本で最初のムーミンのアニメーションは1969年からテレビ放映されました。
成長するにつれて、次第にトーベが他の人とは異なることに気づいていきました。私の家族も、他の人たちとは違っていました。普通の家族は、両親はたいてい朝仕事に行き、夕方に帰宅するような生活だと思うのですが、ヤンソン一家はそうではなかったんです。父は漫画家で、家で仕事していました。1970年、トーベが絵画制作と執筆活動に戻ることを決めた後、父はトーベから「ムーミン・コミックス」の連載漫画を引き継いで描いていたのです。トーベも自宅で仕事をしていたので、私はいつも家族と一緒にいて甘やかされていたと思います。母は幼い頃に亡くなってしまったので、私は父に育てられました。父とトーベと彼女のパートナーのトゥーリッキ、それから祖母のハムが私の家族なのです。
トーベとの記憶は家族として、特にフィンランドの夏を共に過ごした思い出が多いですね。島に行ったり、ピクニックをしたり、冒険に出かけたり。トーベは子どもの私と変わりませんでした。泳いだり、凧を上げたり、冒険を楽しんだり、きれいな石を集めたり、そしてもちろん絵を描くのが好きでした。だから後にムーミンの本を読んだとき、私はそこに書かれているのは、ごく普通のことだと思っていたんです。みんなが『特別な物語ですね』と言うのを聞いても、『家族のことを書いているだけなのに』って思っていました。今ではトーベが本に書いたこと、挿絵も含む彼女の文学が、どれほど特別で唯一無二のものなのかがわかっています。
――トーベとパートナーのトゥーリッキは、同性間のパートナーシップを公にしていましたが、当時はそのような関係が今ほど一般的ではなかった時代でした。あなたの家族には、違いを受け入れる考え方が根付いていたのですね。
ソフィア フィンランドでは1970年初頭まで同性の恋愛関係が法律で禁じられていました。トーベも最初の頃はとても葛藤があったと思います。彼女は若い頃、女性として芸術を学び打ち込む中で、自立することを模索し、旅をし、多くの人々と出会い、自分のアイデンティティを探求していました。はじめは男性の恋人もいましたが、あるとき、ひとりの女性と恋に落ちたのです。それはまったく初めての経験で、圧倒的な感情でした。同性間の恋愛は法律で禁じられていましたが、トーベは自分の正直な気持ちを認め、貫きました。理解のある友人たちがいて、リベラルで寛容なアーティストたちと共に仕事をしていたのは、幸運だったと思います。そのおかげで同性愛が完全に合法化される前から、トーベはそのことについて表現することができたのです。1955年、トーベはトゥーリッキ・ピエティラというグラフィックアーティストと出会い、恋に落ちます。二人は生涯に渡って関係を築き、トーベはそのことを隠しませんでした。当時はまだLGBTQ+のコミュニティのようなものはなかったので、そうした活動を積極的に広めようとしていたわけではありません。それでもトーベは自分の人生の理想について、勇敢に語っています。人は性別に関わらず、誰もが自分の好きな人を愛する権利があるのだと。
――ムーミンは今年出版80周年を迎えます。この世界的な現象をトーベはどう思うと思いますか?
ソフィア 芸術家として活動をはじめた頃は、画家になることがトーベの夢でした。しかし、戦争などさまざまなできごとがあり、ムーミンの物語の執筆をはじめます。作家として認められるようになった当初は、すべてが刺激的で注目されることをきっと喜んでいたと思いますよ。でも、数々の賞を受賞して名声を得るようになると、作品だけでなくトーベその人にも興味を持つ人たちが大勢現れました。次第にトーベは人前に出ることをためらうようになりました。会いたいと言って、忙しいトーベの時間を何としても得ようとする人があまりにも多かったからです。
ムーミンは1950年代にはすでに認知されはじめ、大手百貨店でポップアップストアが開催されるようになりました。アニメーションや演劇作品も生前すでに公開されていました。自分の物語が発展していくのを目にして、トーベはきっと満足していたと思います。有名になって人々に仕事を生み出し、幸せをもたらしたことは素晴らしいことだったでしょう。でもこの勢いが徐々に大きくなって、一人では手に負えなくなり、現在私たちが代表を務める会社が設立されました。父も協力しました。トーベは年を取るにつれて、世間や名声に対してより引っ込み思案になっていったように思います。それでも彼女はムーミンが80周年を迎えたことを喜ぶと思います。現代では、多くの本が出版されてから一年ほどで忘れ去られてしまいます。でも、ムーミンの本は忘れられることなく、今後も読み継がれていくことでしょう。ムーミンの物語は、トーベの生前約40カ国語に翻訳されましたが、今日ではすでに60カ国語以上に翻訳されているのです。もしトーベがそのことを知ったら、きっとびっくり仰天するでしょうね。本はまさにトーベの作品の中心軸であり、木に例えるなら幹のようなものです。枝葉やその先にあるものも美しいですが、本こそが彼女の遺産の核なのです。
――ムーミンの物語にはたくさんのメッセージが込められていますね。大人も子どもも読めますし、年齢によって受け取るものも少しずつ違うかもしれません。物語が伝えている価値観の中で、最も大切なものは何だと思いますか?
ソフィア まさにその物語が伝える価値観こそが、ムーミンが今日でも読まれている理由だと思います。トーベは、人々のコミュニケーションの中にある、繊細なニュアンスを表す言葉を見つける天才でした。自分や他人を鋭く観察し、子どもにも大人にも分かりやすい物語に落とし込んだのです。人生において大切なこと――友情、愛、冒険、寛容、包容力、そして「アウトサイダー」つまり「溶け込めずにいる人」とどう関わるかということ――などのテーマを、空想上の登場人物たちに巧みに反映し、私たち自身の行動や感情と共通点を見出せるようにしました。またトーベは多くの人々が一度は考えること、例えば自分は誰なのだろうとか、一人ぼっちなのだろうかとか、愛されているのだろうか、気づいてもらえているのだろうか、という本質的な問いや、安心できる場所や冒険を求める気持ちについても描いています。誰もが抱えるこうしたテーマを、楽しい設定と魅力的な登場人物たちを通して表現し、読者にこれは自分のことだと思わせながら、同時にみんなのことでもあるんだ、と感じさせたのです。こうした普遍的な価値観が物語に取り込まれているのが魅力です。それがなければ、今日ムーミンの本がこれほどまでに愛され続けることはなかったでしょう。トーベは、大人も子どもも楽しめる名作を生みだすことに成功したのです。
――ムーミンシリーズの最初の本『小さなトロールと大きな洪水』は、第二次世界大戦直後に執筆されましたね。ムーミン谷は希望と友情、再生、そしてより新しい良い時代を象徴する場所となりました。
ソフィア 私たちは今もトーベの物語を必要としていると思います。私たちは今も希望と慰めを必要としていて、寛容性、共感、共生することについて学ばなければなりません。残念ながら、世界はまだムーミン谷のような楽園にはなっていないのです。トーベがこの本を書いたとき、未来への希望はより強く求められていました。私たちは確かにより良い未来を手にしましたが、それでも戦争のために国を去らざるを得ない人々がいます。環境災害も起きています。トーベの作品には、自然への敬意が深く込められています。気候変動など、今日世界が直面している環境問題の影響は、ムーミンに描かれている大洪水や彗星などの物語からそのまま抜け出してきたかのようです。家族や家を残したまま故郷を追われ、新しい人生を築かなければならないようなことが実際に起きています。そういう点でも、トーベの物語は非常に現代に通じる作品なのです。
――ムーミン谷は、読者、特に若い読者にとって精神的な安息の地になるでしょうか?
ソフィア なると思いますよ。文学はとても大切なものです。現代ではデジタル化が進んで、人々は以前ほど読書をしなくなり、物語に触れたり考えたりする機会が少なくなって、自己表現や文章を書く能力を失いつつあるように思います。私たちはもっと読書をするべきだと思うのです。文学、特にトーベのような文学には、自分が知っている世界、そして知らなかった世界が描かれています。本を読むことで、子どもの頃には知らなかったことを学び、複雑な世界や、楽しい物語に触れることができます。文学は創造性を育み、楽しみや時には逃避のための場所を私たちに与えてくれるのです。人々が読む力、理解する力を失わないことを心から願っています。文学は私たちがこの世界で冒険するために、必要な大切なスキルの一つなのです。
――ロレフさんにもお話をお聞きしたいと思います。日本でもムーミンのキャラクターが人気ですが、何が彼らをこれほど特別なものにしているのだと思いますか?
ロレフ 日本のキャラクターブランド市場は、非常に大きく、たくさんのキャラクターが存在することを理解しておくことが重要だと思います。キャラクターブランドは、エンターテインメント業界によって生み出されるもので、必然的に商品化されていきます。そして消費者はそれを消費していきます。
でも、トーベがムーミンを作り出した目的はそうではありません。トーベは芸術家でした。彼女は戦後の苦悩、友情、そして普遍的なテーマを表現したいと望んでいたのです。その活動は収益を生み出すためではありませんでした。
一方でエンターテインメントは、収益を目的とします。エンターテインメントは楽しみを与えてくれますが、既に世の中にあるものを増やしていくだけで、新しいアイデアをくれるわけではありません。しかし、アートは全く新しいアイデアや、洞察を与えてくれます。ですから、違いはとてもシンプルだと思います。アートには永遠の広がりがあり、アートと自分との関係性を築くことに価値を見い出すことができるのです。
――キャラクターそれぞれに個性があり魅力がありますね。例えば、リトルミイは多くの人にとって、意味のあるキャラクターかもしれません。自分の感情をさらけ出すようなキャラクターが物語の中に描かれているのは良いことだと思いますが、どう思いますか?
ロレフ 全く同感です。トーベは、リトルミイを一種の構成要素として捉えていたように思います。ムーミン一家が感傷的になりすぎたり、浮ついたりするとき、いつもリトルミイが必要だったのです。エネルギーを引き出し、葛藤を生み出し、さらに色彩的にもより興味深いものにするためには、リトルミイが重要な役割を果たしていたのですね。
個人的には、ムーミンパパの物語は、最近まるで自分のことのように感じられるんです。ムーミンの物語では、ムーミンパパも冒険に出ますが、ムーミンパパは本当に自分を見失っていたのだと思うのです。ムーミンパパもまた、幸福や自分自身を探し求める探求者だからです。ムーミンパパは、自分が家族を導かなければならないと思っています。実際にはそうではないのですけどね。
ソフィア だから大人の心にも響くんですよね。多くの人は、自分は大人で成熟していて、何をすべきか知っていると思っていますが、実際は心の中に「子ども」を持ち続けていて、自分が誰なのか、どこに向かっているのか、何を求めているのか、必ずしもわかっているわけではないのです。ムーミンパパについては、正直に言うとちょっと迷惑な存在ですね。もしムーミンパパが私の夫だったら、きっとイライラしてしまうと思います(笑)。
でも、ムーミンパパには冒険者としての魅力があります。それにムーミンパパは、自分の家族にも冒険家の心や旅への憧れを伝え、一緒に行動するように促します。ただ一人だけで旅立っていくわけではないんです。家族全員を連れて行き、みんなで何かを成し遂げようとするのです。途中でいろいろなことが起こりますが、それでも協力して乗り越えようとします。家族一丸となって問題を解決しようと努める姿があるのですよね。
ムーミンの物語、トーベの文学について、幼い頃の思い出や、個人的な思いを交えながら語ってくださいました。
ソフィア・ヤンソンさんは今、幼い頃の思い出を綴った本を執筆中。この秋、スウェーデン語とフィンランド語で出版予定だそうです。日本語で読める日が来ることを、楽しみに待ちましょう!