(218)本気で遊ぶこと【フィンランドムーミン便り】

ファッツェル社のミルクチョコレート「ブルー」にムーミン仕様が登場

 映画監督アキ・カウリスマキが共同経営する映画館キノ・ライカ。日本ではムーミンの日として知られフィンランドでは国旗掲揚が推奨されるトーベ・ヤンソンの誕生日でなく、それからひと月ほどの9月6日をキノ・ライカではトーベ・ヤンソンの日とし、一日を祝った。夏じゅう開催されていた写真展と展覧会場内でノンストップ上映されたドキュメンタリー映画、スクリーンではムーミンやトーベに関連した映画が次々上映され、夜にはライブも行われた。

 展示されている写真やドキュメンタリーを見ていて、トーベが「遊び」をどれだけ大事にしていたかを改めて思い出した。写真には、いまや美術館作品になっている立体作品を実際に海に浮かべたり、自然の中に作品を融合させて撮影し、動画も撮った。夏小屋の雨水をためておく樽に浮かべたレモンは、二人が「ここに!」と置いて8mmカメラを回している様子を想像するだけでうきうきした。そういえば、トーベから引き継いでムーミンコミックスを続けた弟のラルスが暮らす夏の島に遊びにいったときのこと。木造の古い手漕ぎボートは段ボールで作った船首像がくくりつけてあり、海賊船になっていた。岸に流れ着いたものをあれこれとっておいたトーベたち。たとえばマスト。これはクルーヴハルの夏小屋の梁にした。流木やこまごまとしたものは、立体作品の材料になったりもした。
 トーベ・ヤンソンは「大人が遊ぶなんて」と言われるような時代には、言葉のニュアンスを変えて「趣味」と呼んだけれど、本音は「遊び」だった。遊びは大事。そしてトーベはパートナーのトゥーリッキと、それから共通の友人だったペンッティ・エイストラと土曜日になると「遊びの夕べ」なる会を続けた。それぞれが自分の好きなことを夢中でやる時間だ。のちに3年を費やして完成した立体作品「ムーミン屋敷(ムーミン美術館によると、この立体作品はあくまでも本の中のものとは区別すべきものだそう。本にでてくるのを「ムーミンやしき」、立体作品を「ムーミン屋敷」と表記します)」は、この時間を使って制作された。

 トーベ・ヤンソンがタンペレ美術館に自分の作品を寄贈したとき、そこには作りかけのフィギュアや家具、立体作品のための材料も含まれていた。いよいよ二人は遊ぶことを辞めたのか?と思いきやそうではなく、映画制作に夢中だったとドキュメンタリー三部作の監督はじめ何人かが証言している。トーベの晩年は文章を書き続け、映画の世界で遊ぶ日々だったのだろうか。
 ドキュメンタリー三部作は、ドキュメンタリーでありながらトーベが脚本を書いたり、映像を見ながら自分たちがコメンタリーを入れたりして作品が完成している。キノ・ライカで久しぶりにドキュメンタリーを見ていて、トーベが「旅人」という言葉が好きだったこと、さらに晩年のパリ暮らしでは、あくまでも自分たちはそれぞれのペースで生活することを大切にし、その暮らしから自分たちを見つけるというような、晩年にあっても自分たちに誠実に生きようとする自由な人たちの魂を垣間見た気がした。
 自由って、先が見えない不安な部分と背中合わせではないかと思う。私じしんがどこにも所属せずに暮らしているからそう思うのかもしれないけれど。自由、自由きまま、そう呟くと、自分で選択しているくせに行く先に不安を感じてしまうのだ。今に集中できたらいいのか。そんなことを考えていると、遊ぶって「今」に集中させてくれる知恵なのかもと思う。遊び心も遊ぶことも大切にしたい。決まっていない行き先は、いかようにもなるという未来の可能性を広げてくれるものなのだ。

トーベとパートナーのトゥーリッキ、共通の友人のペンッティで夢中になった遊び「ムーミンの立体作品づくり」は、ムーミン美術館に展示されている

森下圭子