【ZERO】Epilogue

ムーミンバレーパークのちょっとディープな情報を、AからZまでのキーワードにして、アルファベット順にご紹介していく「ムーミンバレーパークのA to Z  」。

【Z】はZero、ゼロ(0)です。
この連載のはじまり、最初のアルファベット【A】がスタートする前も、新連載【0】Prologue はじめに https://www.moomin.co.jp/news/blogs/65967  として、「ゼロ」からスタートしていました。

(記事内で使用したこの写真、創作しているトーベの姿、だったのですが、今振り返ってみると、鏡の形もまるで、「ゼロ」のようですね)

さまざまな「ゼロ」

「ムーミンバレーパーク」は、土地探しから始まり、長い旅を経てロケーションが決まった先には、どこに何を置くかの配置、設計と施工、あらゆるものの選定、決断、想像、そして創造と、たくさんの人によってゼロからつくりあげたものにほかなりません。

2015年冬、本当になにもなかったころの、のちに「ムーミン谷エリア」になる場所

そして、ムーミンの物語もさまざまなトラブルや災害がおきますが、ふしぎなことに、完全に「ゼロ」になって、なにもかもなくなってしまうことはありません。なにかしらの可能性や、希望が見えるのです。
恐れられた彗星の衝突も、「しっぽがかすった」ように反れていき、地球は滅亡しませんでしたし、(『ムーミン谷の彗星』)
洪水でムーミン屋敷が浸水して流され家がなくなってしまっても、流れ着いた劇場に住み着いて、寝床を確保することができましたし、(『ムーミン谷の夏まつり』)
フィリフヨンカは、屋根裏部屋の窓ガラスの外側をふこうと窓枠をまたいだら屋根から滑り落ち、別の窓のふちにぞうきんがはさまっていたので九死に一生を得ましたし、(『ムーミン谷の11月』)
ムーミンの小説シリーズの最終作、『ムーミン谷の11月』の、ホムサ・トフトが水浴び小屋から船で帰ってくるムーミン一家の姿が見えたところで物語が終わります。
「ボートはまだ、ずっと遠くのほうにいました。ホムサが森をぬけて海辺に下り、岸づたいに桟橋に行って、もやいづなをうけとるのに、ちょうど間に合うくらいの時間は、まだたっぷりありました。」
これが、最後のページの最後の行に書かれている言葉。なんだか、終わり感がありませんね。


思い返せば、トーベ自身の人生も、完全になにかを失ってしまう、「ゼロ」になることはなかったかもしれません。
画家として成功したいという若きトーベからやる気を奪い取ってしまった戦争。
その代わり戦時中に、表現手段が絵画から執筆へ変わって書き上げた第一作『小さなトロールと大きな洪水』が誕生。
戦争が終わると、トーベに色彩が戻る。そして生まれた色鮮やかな絵本の数々。
定期的に収入が入ることを喜んでいた新聞のコミックス連載を続けることがつらくなる。そして弟のラルスが連載を引き継ぐ。
最愛の母ハムの死後に、ムーミン小説が終わる。そしてムーミンが登場しない「小説」を書きはじめる―


「終わり」は、新しいなにかの「はじまり」でもありますね。
それは、海のオーケストラ号のアトラクションの最後にひそませた原作のことばにも。
「あらたな扉の先には、おどろくような可能性の世界が広がっています。だれにだって、あたらしい日が始まります。そう、ためらわなければ、どんなことでも起こりうるのです!」(『ムーミンパパの思い出』)   


アルファベットが一巡しましたので、この連載も一区切りです。
ゼロからはじまり、ゼロで終わるこの連載ですが、トーベ/ムーミン的にいうならば、まったく完全に終わりになるということはなく、次への新たな可能性といえましょう。
それは、これを読んでいただいたすべてのみなさんにとっても同様のことで、新たな扉の先には、おどろくような可能性の世界がひろがっているのです。

おあとがよろしいようで。
また、いつかどこかで!

今月8月9日のトーベの誕生日「ムーミンの日」では、花火をあげてお祝いしました

ムーミンバレーパーク
https://metsa-hanno.com/

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株式会社ムーミン物語
川崎 亜利沙
(text by Arisa Kawasaki, Moomin Monogatari ltd.)