「海が荒れているときのほうがすき」 ― トーベ・ヤンソンの人生と文学における嵐の役割

「おかしいかな」 とソフィアは言った。

「いい天気だとつまらなくなっちゃうのよ。おばあちゃんは?」

祖母は言った。

「あんたはおじいちゃんにそっくりだね。おじいちゃんも嵐が好きだった」

『少女ソフィアの夏』(1972年)トーベ・ヤンソン/著より

 

ヘルシンキの屋根の上にそびえるように建つ、高い塔のようなトーベ・ヤンソンのアトリエを訪れれば、海と、特に荒れ狂う嵐が、単にトーベを取り巻く環境や無作為に描かれた自然現象ではないことを理解することができるでしょう。

アトリエの作業台の上には、嵐と航路についての本の特別なコレクションが収められた棚があります。また、浴室の扉の内側には、海でのドラマチックな旅や壮大な嵐、さらには竜巻までを描いた写真や記事で埋め尽くされています。

トーベにとって、海と荒々しい嵐は、絶対的なインスピレーションの源であり、彼女は慣れ親しんだ海の風景から離れていたときには、海を思い出させてくれるものを身の回りに置いてさえいたのでした。

「ぼくは海が荒れているときのほうがすきだな」

1968年に制作された、マーガレット・ストロームシュテットによるドキュメンタリー映画「ムーミンと海」では、トーベが、父ヴィクトル・ヤンソン(通称ファッファン)がいかに「嵐が好きだったか」を語っているのを見ることができます。

「父は、夏は緑が多すぎて、単調で怠惰で、何も起こらないと思っていました。だから突然気圧計が下がると、とても興奮して走り回ったり、水位を測ったり、家族に警告しながらボートを引き上げたりしていました――でもそれは、ほどけてしまいました」

トーベ・ヤンソンの姪であるソフィア・ヤンソンによると、トーベと彼女の父親の嵐への愛は、自由になれるような感覚と結びついているのではないかといいます。

「嵐が来れば外に飛び出してダンスをする人もいれば、一方で嵐を怖いと感じる人もいます。トーベの嵐に対する感覚は、彼女の父親と同じでした。フィンランドの群島地域の嵐には、心を落ち着かせる効果があったのです」とソフィアは言います。

「ある意味、嵐は人間と比して巨大な力を持っているので、人間は脅かされると感じることもあります。でも実は全く反対の効果もあるのです。つまり、嵐は人間よりも強い力を持っているため、人間はリラックスして自由になることができるというわけなのです」

嵐のペリンゲ群島でボートを漕ぐトーベの弟ラルス・ヤンソン。

撮影/ペル・ウーロフ・ヤンソン

ソフィア・ヤンソンによると、これには、危険を冒していると感じる気持ちもありました。つまり、嵐が生きる意味を与えてくれるという感覚と言ってもよいかもしれません。

「何が起こってもおかしくありません。ボートが係留されているところから引きちぎられたり、木が倒れたりすることもあります。これが冒険だ、と感じる思考と結びついていました。嵐は予期しないこと、思いもかけない何かに私たちを出逢わせてくれるのです」

トーベの弟ペル・ウーロフ・ヤンソンもまた、ペッリンゲ群島で過ごした家族の夏と、その魅力的な嵐を思い出しています。彼は著書『ムーミンの世界と現実―写真で見るトーベ・ヤンソンの人生』の中で以下のように書いています。

「東側のはずれの海の中に、岩があって、私たちはよく、その上に這い上がって、それから波に押し流される、ということをした。波はとても激しかった。でもトーベは決しておそれなかった。トーベは、高い崖からや、飛び込み台から飛び込むときも、まったくこわがらなかったのだ」

波に包まれ幸せそうなトーベ・ヤンソン。撮影/ペル・ウーロフ・ヤンソン

嵐は、トーベの人生の中で、ペッリンゲ群島で過ごした夏や秋の間のみ、役割を果たしたわけではありませんでした。彼女は、文学、イラストレーション、芸術作品の一部として、さまざまな方法で嵐を描き、今日まで世界中の何百万もの人々に喜びを与えているのです。いくつかの本、例えば『小さなトロールと大きな洪水』では、世界全体が嵐に見舞われています。また、『ムーミンパパ海へいく』のように、嵐はしばしば冒険の基盤となっています。

「ぼくは海が荒れているときのほうがすきだな。

波がおさまらないうちに、海にもどるよ」

『小さなトロールと大きな洪水』(冨原眞弓/訳 講談社)より

トーベ・ヤンソンが嵐に魅せられていたことは、彼女の文学の中で明らかになっています。

海面をつぎの黒いかたまりが疾走してくるのが見えた。大嵐がやってきたのだ!

ソフィアは黒いかたまりに向かって走りだし、まともに風にぶつかった。冷たかった。でも同時に熱かった。そして大声でさけんでいた。

「風よ吹け! 風よ吹け!」

『少女ソフィアの夏』(渡部翠/訳 講談社)より

ムーミンの小説「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」では、嵐の持つ驚くべき力が巧みに描かれています。強烈な嵐はフィリフヨンカの家と持ち物を破壊し、精神的にパニックに陥らせます。彼女は打ちのめされますが、それは驚くべき結果をもたらすのです。

フィリフヨンカは深く息をして、つぶやきました。

「もうわたし、二度とびくびくしなくていいんだわ。

とうとう自由になったのよ。これからはどんなことだってできるんだわ」

これは部分的に、嵐の視覚的、物語的な力に起因すると言えるでしょう。嵐は非常に視覚的な気象現象でもあります。波は大きく泡立ち、雲はドラマチックで、まるで生きているようで、燃えるような色にきらめいています。そこには形があり、色があり、音があるのです。

「とはいえ、トーベが生涯を海辺で過ごしていたことを考えれば、嵐が彼女の芸術や文学の重要な部分を占めていたのは当然のことです。ムーミンの物語では、都市の文化ではなく、自然の文化が強く描かれています。興味深いのは、トーベがその後の文学においては、人間、人間同士の関係、コミュニケーションにより焦点を当てていることですね」とソフィアは付け加えます。

「最後の夏、許しがたいことがおきた。海が怖くなったのだ」

トーベの人生において嵐が果たす役割は、彼女が年を重ねるにつれて徐々に変化していきました。すでに70歳を超えていた彼女は、人生のパートナーであるトゥーリッキと一緒に嵐に遭い、そこで彼女たちのボート「ヴィクトリア」さえもが壊れてしまったのです。その後、彼女たちは、もはや自分たちだけでは島に住み続けることができないことを認めざるを得ませんでした。トーベ・ヤンソンは『島暮らしの記録』(1996年 冨原眞弓/訳 筑摩書房)の中で、このような思いを綴っています。

「ある夏、漁の網を引きあげるのがとつぜん億劫になった。土壌は扱いにくく逆らうようになった。

―― 事態は悪くなった。たとえば誓ってもいいが、仕事をする意欲はあるにもかかわらず、

煙突を煤払いをしに屋根に登る気がしなくなるときなど」

それはトーベの思考さえも変えてしまいました。

「最後の夏、許しがたいことがおきた。海が怖くなったのだ。

大きな波はもはや冒険を意味するのではなく、もっぱら自分のボートにたいする、

ひいては悪天に沖合をいくすべての船にたいする――

不安や責任感をかきたてるようになったのだ」

最終的に、トーベとトゥーリッキは一度にすべての荷物をまとめ、島に別れを告げたのでした。

ソフィア・ヤンソンはこう付け加えています。

「これは悲しいことのように聞こえるかもしれませんが、この出来事は、まさに、年を重ねることへの美しい敬意を肯定するものです。これは、島での彼らの夏の、美しい終わりでした。クルーヴハルの時間は、はっきりと徹底的な終わりを迎えたのです。だんだん疲れて、だんだんそこに行かなくなっていった、ということではなく、彼女たちは現実を認め、それを受け入れ、島を去りました。島での二人の物語は美しい弧を結び、それは完全なものとなったのです」

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「バルト海は、最も汚染された海の一つです」 ――バルト海を支援するために#OURSEA

いくら嵐がエキサイティングなものであっても、巨大すぎたり、頻繁に発生しすぎたりするべきではありません。バルト海は、気候変動による問題に苦しんでいます。これは嵐の増加につながる可能性もあるのです。

バルト海は、世界で最も汚染された海の一つであり、直面している最も深刻な環境問題は、富栄養化です。近年、多少減少しているとはいえ、大規模な藻類の発生、水質汚濁、海底の無酸素状態など、海に負担をかけ続けているあきらかな兆候が見られます。これらの症状は、地球温暖化の影響で、さらに加速しています。ムーミンの物語の中の、浜辺や海でのおなじみの遊びや冒険が、現代の環境で行われたら、まったく違ったものになってしまったでしょう。

ムーミン75周年を記念して、ムーミンキャラクターズは、世界的に知られているジョン・ヌルミネン財団と共同で、海とその遺産を守るための「#OURSEA」キャンペーンを開始しました。

キャンペーンには、www.oursea.fi で寄付をするか、キャンペーン商品を購入することで参加することができます。

翻訳/内山さつき