(170)トーベ・フェスティバル

トーベ・フェスティバルのチケット、プログラム、全員に配布された水

「灯台に、あかりが灯りました」
フィンランド初のトーベ・フェスティバルはこんな風に始まった。

午前11時に始まり、昼食と休憩をはさみながら午後7時まで。まるまる一日をトーベスペシャルで過ごす一日。場所はスウェーデン劇場。最初のムーミン劇が上演されたところでもある。ステージには作家、研究者、ミュージシャン、役者たちが登場し、トーベ・ヤンソンのこれまでのインタビュー映像のほか、トーベに関わりのあった人たちの映像も流れた。パネルディスカッションあり、トーベの歌詞や詩で構成された音楽劇、初お披露目のムーミン音楽、さらにトーベ・ヤンソンの手紙も朗読された。

「春にメールしてるのだけれど、ひょっとしてメール届いてなかったかしら」と連絡があったのはいまから二カ月ほど前のこと。トーベ・フェスティバルのプロデューサーだった。パネルディスカッションのモデレーターをやらないかという。無理だ。絶対無理だ。スウェーデン語はできませんからとお断りしたら、今回はフィンランド語がメインになるという。当日はちょうど島に行っているということに気づいて「ヘルシンキにいないので」と答えたら「ところでどこにいるの?」と聞かれ、じりじりと私に残された答えが「イエス」にしかならないようになってしまった。

9月に入り少しして劇場の収容制限が緩和され、チケットの追加発売もあった。当日、劇場に向かうトラムに乗っていたら、少し離れたところに座っていたご婦人たちがトーベ・フェスティバルの話をしているのが聞こえてきた。

私が担当したのは研究者3人のパネルディスカッションだった。美術、ムーミン、大人向け小説と呼ばれる作品と、それぞれが違うテーマで研究している人たちだ。しかも研究者といえば話し出したら止まらないとか、自分の話したいことを話しがちとか言われている。さて、どうしたものか。そこへフィンランド語が母語ではない私が入り込むとか、想像しただけで指の先が冷たくなる。

研究者たちは何がきっかけで研究するようになったんだろう。研究しているうちに、自分やトーベとの向き合い方がどうなるんだろう。そのきっかけになればと思い、私は事前に3人のパネリストたちから、挿絵または絵画の中から「自分のお気に入りのトーベの作品」と「トーベをよく表していると思う作品」を二点用意してくださいとお願いした。研究者が絵を見るときって、どんな目で見ているのか。研究者は絵をみながらトーベ・ヤンソンのどんな言葉を思い出しているのか。トーベ・ヤンソンの世界がどんな風に広がって見えるのか。限られた時間の中ではほんのさわりしか触れることはできなかったけれど、これから絵を見るとき、文を読むときに少しでも違う視点で見てもらえたらと思った。

舞台に上がる前、周囲の人たちに「ちゃんと自分のことも話しなさい」と言われていた。ムーミンがきっかけでフィンランドにやってきたこと、もしフィンランドが自分に合わなかったら2週間で戻ってきますと伝えて日本を発ったことを話した。「その日から27年になりました」と言ったら拍手がおきた。緊張していてよかった。緊張していなかったら泣き出したと思う。何歳になっても自信などそうそうつくものではなく、でも、好奇心を失わないこと、素直に生きること、そして時々は勇気を出してみることを教えてくれたムーミンやトーベ。

トーベ・ヤンソンと彼女の作品に関わりながら生きてきた人たち、それぞれの視点や解釈、経験などを聞くことは、なんて豊かだろう。本当は客席の人たちの声もたくさん聴いてみたかった。みんながマスクを外せるようになったときに、いつかそんな機会ができたらいいな、なんていうことを考えながら劇場をでた。

フェスティバル会場はムーミン劇がはじめて上演されたスウェーデン劇場。

森下圭子