(167)80年前のオーランド諸島

1945年の夏、トーベが自転車でよく出かけていたイェータはオーランド本島の北にある岩が特徴的な地域。『ムーミン谷の彗星』を思わせる場所があちこちにあると現地の人たちは言います。

オーランド諸島の自治は今年で100年。耳に馴染みのない地名かもしれないけれど、スナフキンのモデルになったといわれるアトス・ヴィルタネンはオーランドの出身。アトスと一緒にトーベ・ヤンソンがオーランドに滞在していたこともある。

トーベ・ヤンソンが初めてオーランドを訪れたのは1941年、今からちょうど80年前のこと。ヘルシンキの芸術家展の関係で滞在していた。トーベ・ヤンソンがまだ画家として活動していた時代だ。

ムーミンの人気は高くても、トーベ・ヤンソンに関する足跡や逸話はあまり世にでていない。これは単にそれをまとめている人がいないというのが理由。実はトーベについて伝えたいことがたくさんある人はいるのに、その機会がないために世にでてきてないことが、意外とあるのだ。そういう人を探すことは難しいけれど、でも不可能ではない。根気よく動いていると、あるとき芋づる式に人から人へ繋がったりする。最近オーランド諸島で新しいことがいくつも出てきたので、それを少しずつ紹介できたらと思う。

オーランド美術館にはトーベ・ヤンソンの絵画が2点ある。一度目の滞在(1941年)のものと、アトスと滞在した1945年のもの。前者の作品はヨーロッパ留学時の作風を思わせる色彩やタッチで、後者は、戦争の苦しみから一旦色彩を失ったのち色彩を取り戻していく頃の作品だ。

1945年の作品を前に、美術館の学芸員さんが「岩にこういう色を用いるって、やっぱり大胆だと思うんです。そしてこれだけ多くの色を使うのも」と語り、そして何よりもむき出しになっている岩が風景のすべての中心にあるような、その構図や勢いも印象的だと続けた。

1945年、トーベは自転車で岩が特徴的なイェータによく行っていたという。当時、岩場で熱心に絵を描いている小柄な女性に興味をもった地元の女の子が、女性に声をかけたという話を聞いた。その小柄な女性とはトーベ。少女はやがて画家になった。

80年前のトーベは、滞在先では「相当変わった人」と噂されていた。当時13歳だった少女は今93歳になり、そして私に話してくれた。「トーベ・ヤンソンは私の親戚のところに滞在していたのですが、ある日、夕飯の席に箱にいれたねずみを持ってきて皆に見せたんです。ここの人たちにとってネズミとは退治するものなんです。なのにネズミを見つけたからって箱にいれて、しかも夕食の席にもってきて見せるなんて」。当時、ヘルシンキの芸術家たちの作品はまったくもって売れなかったらしいけれど、ヘルシンキの芸術家たちに対する風当たりも強かったのかもしれない。

少女は当時トーベ・ヤンソンのアトリエにこっそり忍び込んだことがある。友達と一緒に、ヘルシンキの画家がどんな絵を描いているのか見たかったのだ。ところが、絵は学校で習ったり鑑賞していた作品とはまったく違っていた。「なんか、下手な気がする。そう思ってしまって」と気まずそうに話してくれた。80年前はその他にも、戦争で瘦せ細った馬をトーベが風景画の中に描き込み、馬の飼い主を激怒させたなんていう話もある。せめて絵の中では逞しい姿の馬にして欲しい、そうすべきだということだったようだ。

この少し嚙み合わない感じ。ところがその後、ムーミンを執筆するようになる1945年の滞在では、様子が違った。スナフキンのモデルといわれるアトスとのオーランド滞在で、トーベは大きく成長したのではないかと言う人たちにも会った。次回、1945年のオーランド滞在のこと、『ムーミン谷の彗星』とオーランド、スナフキンの話に続きます。

オーランド美術館にあるトーベ・ヤンソンの絵画。どちらもオーランドを描いた作品で右が1941年作、左が1945年作。
所蔵 The Foundation Åland Vänner s.r. Art Collection

森下圭子