(163)パリに現れた赤シャツの男
スウェーデン人のその男は、一生分の富を手にすると、エンジニアの仕事を辞めてしまった。好きなように生きる。そして旅の途中、オーランド諸島の中に「絶対ここ」という自分の場所を見つけてしまった。1958年のことだ。小さな島で冬は暮らせないというが、それでも良かった。どうしても島を手にいれたくなった男は、市民権を得るために複雑な手続きをして何年も待った。やがて念願の島を手にいれると、船着き場を作ることにした。岩を削ったりせず、自分たちの手で岩を動かして自然を残そう。さらにオーランド諸島のあちこちから池や湖の泥を集め、それを土にして庭をこしらえる。とにかく妥協しない理想の場を作った。
サマーハウスには、一枚の絵画が欲しい。男は、その絵を描くのはトーベ・ヤンソンしかないと思った。絶対だ。トーベ・ヤンソンしかいない。そして自分が大好きなムーミンしかない。
当時、電話帳にはトーベ・ヤンソンの電話番号があった。電話をするとトーベの母ハムがでた。トーベは今パリにいるということ、そして娘に確認せずに勝手にフランスの連絡先を教えることは憚られると答え、電話はそこで終わってしまった。
男は諦めない。絶対のときは、どんなに時間をかけてでも確実に自分が叶えたいようにしてきた男だ。自分が暮らすストックホルムから船に乗り、ヘルシンキでトーベの留守を預かるハムの前に現れた。トーベの母はスウェーデン人だということを知っていた彼は、スウェーデンの民族衣装を着てスウェーデンからやって来た。ハムはすっかり心を許し、そしてトーベの連絡先を渡した。
男はトーベに連絡し、パリ行きのチケットを手配し、そしてトーベと約束したパリのビストロに現れた。
真っ赤なシャツを着て「今日は歯医者に行くことになっててね。ほら、血とか、何かあっても赤色のシャツなら」と男は言った。
トーベにとってムーミンの絵と絵画は別物だ。なのにこの男はムーミンでなおかつ絵画がいいという。一旦は断り説明したものの、男はひかなかった。最終的にトーベは快諾し、男はその絵を暖炉の上に飾った。そこは煤で黒くなってしまうからとトーベは言ってみたものの、男にはそこが良かったのだそうだ。絵は最後まで暖炉の上に飾られた。
絵画が飾られているサマーハウスにはトーベも訪れている。島のてっぺんのほうに、トーベの夏の島「クルーヴハル」の小屋を設計した建築家レイマ・ピエティラが手掛けた離れの小屋があり、トーベが訪れたときは、いつもそこに滞在した。群島でありながら、その小屋の窓からは、他の島に遮られることなく水平線がぐるりと見渡せたのだそうだ。
この話はトーベ・ヤンソンがとある小学校の先生に送った手紙のなかにあった。黒いペンで書かれたメッセージが一枚、続けてペンの色を変え、何枚にもわたってこの男とのエピソードが、短編小説のように書かれていた。
森下圭子