(161)ルチアとクリスマスの12月

今年出会ったムーミン一家のような家族の末っ子。4歳でボートのモーターを操る。「適齢期は世間や大人が考える時期ではなく、その子がやりたいって思った時なのかな」と答えるママとパパ。

ルチア祭とか聖ルチアのことを知ったのはトーベ・ヤンソンの本が最初だったと思う。読みながら、聖ルチアになるって女の子の一大事なのだろうなと感じた記憶がある。さらにフィンランドに来て、これはもともとスウェーデンの行事で、フィンランドではどちらかというとスウェーデン語系フィンランド人たちのイベントなのだと知った。

今年はパレードや人が集まる行事にできないこともあり、その分、家でルチアの白いドレスを着て、歌ったり歩き回ることを楽しみにする女の子たちの話をあちこちで聞いた。

ちょうどそれくらいの頃だ。町のあちこちでクリスマスツリーを見かけるようになったタイミングでもあった。ある一家がSNSでお知らせを出した「自分の居場所がない、誰かと一緒にいたいと思ったら、ここがありますからね」。私がこの夏知り合った「ムーミン一家みたいだ」と思った群島ペッリンゲに暮らす家族が出したものだった。

中学生男子、小学生の女の子、4歳の男の子の三人の子どものほか、このお宅を訪ねると、そのほかにも子どもがいることがよくある。長期的な里親を決定するまでの期間や一時的に里親を必要とする子どもたちを家族に迎えて一緒に暮らしているのだ。お兄ちゃんは群島にサマーハウスを持つ人のボートの手入れを請け負っていて、ボートを動かすためにトラクターまで操縦してしまう。お姉ちゃんはいつお客さんがやってきても手作りのお菓子が冷凍庫や棚から出せるくらいに、こまめにお菓子作りをしている。弟は弟で親に見守られながらボートのモーターを操って海との付き合い方を体で覚えている最中だ。そんな中で、ここにやってくる子どもたちは、思い切り泣いたり、思い切り暴れたりしながらも、気がづけば、みんなの中であれこれやっている。少しずつ自分でやれることが増え、少しずつ誰かより得意なものを知ったり、誰かに甘えたり助けてもらうことを経験していく。

20年ほど里親をやっているとかで、かつて家族の一員として暮らしていた子が大人になり子どもを連れて会いにきたり、そのほかにも独立したものの時折無性に寂しい思いをしていたり、言うに言われぬ不安を抱いてしまう思春期の子もいるかもしれない。または子どもの福祉のために走り回ってる人のなかに、途方にくれている人がいるかもしれない。いつだって、何かあったら、ここがありますよ。

家じゅうを森の匂いにするようなクリスマスツリーがあり、ロウソクに明かりが灯され、「いらっしゃい」と迎えてくれる家がある。そういえばトーベ・ヤンソンの『彫刻家の娘』の中に、ママがクリスマスにルチアになるエピソードがある。ルチア祭に何もできなかった子も、このムーミン一家のような家でクリスマスのルチアになれるといいな。

メリークリスマス!

ルチア祭の定番、黄色いサフランパン。どちらかというとスウェーデンの、スウェーデン語系フィンランド人たちの行事だからか、あまり店頭でみかけない。自分で焼くしかない。

森下圭子