(177)最先端の味覚
『ムーミン谷の冬』の終わりのほうで、最初の春の夜がこんな風に描かれている。
夜ともみの木々のにおいが、部屋の中まで流れこんできました。
もみの木々といえば、ムーミンたちは冬眠する前にもみの葉でお腹をいっぱいにする。以前の訳では「松葉」と訳されていたので、冬眠の前にムーミンたちは松葉を食べると記憶している人も多いかもしれない。
フィンランドでは、もみの木や松の木の針葉樹の葉をまとめて呼ぶことも多い。いわゆるチクチクしている葉で、そんなものを食べちゃうのかと、昔はそんな風に考えていた。それは私だけでなく、フィンランドの人たちもよくそんな話をしていた。
ところが、最近の私ときたら、針葉樹味が大好きだ。アイス、チョコ、もみの木の新芽のシロップ、ジュレ、ドリンク、ハーブティー。というか、ここ数年で針葉樹が食の世界にどんどん入り込んできているではないか。
トーベは食に関して無頓着だったと聞く。トーベの死後、各国のジャーナリストたちが生前の好物を質問するが、周囲の人たちがぱっと思い浮かぶのは「ウォッカ、煙草、マリアンネ(中にチョコが入ったミントキャンディ)、濃いコーヒー」あたり。確かにムーミンを読んでいても、フィンランドで一般的に食べられているものの範疇を超えない。
ここへきて、「それを冬眠前に食べさせるなんて!」と思われていたようなものが、フィンランドの食の世界で脚光を浴びている。
季節は春。もう少しするともみの木の新芽の時期だ。それを摘んでジュレを作るためにぐつぐつ煮込んでいると、部屋中がもみの木の匂いでいっぱいになる。
もみの葉をお腹いっぱいに食べて冬眠する。森の恵みがほとんどなくなった時期にたっぷりあるのは針葉樹の葉くらいだから、という理由かなとも思うけれど、いまこうして新しい味として注目されているのを見ると、トーベの味覚ってなかなか鋭いのかもしれないとも思う。
森下圭子