(152)日常の光景にムーミンが重なる

フィンランドのスーパーにムーミンのアイスクリームが帰ってきた。およそ20年ぶりとか。子ども向けのアイスは砂糖を30%カットしている。

ほんの3週間ほど前、トーベ・ヤンソンが書き遺した歌詞で構成されたエンマ・クリンゲンベリのコンサートで大興奮していた。幕開け前に皆で一緒に歌い、盛り上がったところでステージに照明がつき、トーベ・ヤンソンの物語へと入っていく。それは踊り歌うことが大好きだったトーベの世界に入っていくための正しい挨拶のようだった。そして今、ヘルシンキはしんと静まりかえっている。

新型コロナウイルス感染症対策として厳しい行動制限が始まる少し前、フィンランドでもトイレットペーパーが店頭からなくなった。缶詰やパスタ、小麦粉や米までも空っぽになっていく。でもじつのところ、私がスーパーで最初に目にしたのは「バナナの山が空っぽになっている」だった。フィンランドのスーパーでは、バナナが目立つところに山積みで売られている。そして誰かしらバナナを買っているなと常々思ってはいた。でも、まさかである。明らかにトイレットペーパーや缶詰のようには日持ちしないバナナが売切れとは。さらに観察していると、普段それほど食べていないだろうインスタントラーメンの前で、おすすめやレシピを居合わせた人と話している人たち、やっぱり米もあった方がいいかしらと見知らぬ人に助言を求めている人たち。緊急事態にあってのこの光景に、思わずムーミン谷の住人たちのことを思い出した。子どもの頃に、ムーミンを読みながら「よく分からない怖いもの」にびくびくしながらも、その時のムーミン谷の住人たちの行動に、私はどこか支えられていたのかもしれない。同じような心地を、私は日常の光景の中にも感じている。

一か月ほど前、海が凍ることなく春を迎えようとしていたヘルシンキが急に寒くなった。水浸しだった畑は、突如として天然のスケートリンクになった。するとどうだろう、誰からともなく、手にスケート靴をもって人が集まってくるではないか。

そうそう森にいたってそうだ。森で迷子になり、必死で正しい方向を探している時でも、ベリーの茂みを見つけたら嬉しそうにそれを摘みだす。「ねえ、私たち、いま迷子で大変なのに」なんて言ってみても、「大丈夫、迷子になったと思わなければ迷子じゃないから」とベリーを口に放りながら答える。

ああムーミンだ、ムーミンの世界がそのままここにある。フィンランドの日常には、ムーミンを思い出すことがたくさんある。というか、こういう光景が広がっているところでムーミンは生まれたのだ。

アカデミア書店のエコバッグ(5ユーロ)は、返却すれば代金を返してもらえる。汚れが目立ってきたところで返却してもいいし、交換もできる。返却したエコバッグは書店が提携している業者に出し、環境にやさしい方法で洗う。エコバッグの中にはムーミンの#OURSEAロゴがついたものも。返却せずに自分のものにしてもいい。

森下圭子