(144)ムーミンと海

島で過ごす夏の暮らし。子供の頃に過ごしたグスタフション家の便所には、壁に厚紙が張り巡らされていた。トーベ・ヤンソンはムーミントロールの原型になる絵をはじめ、この壁に数多くの落書きを残している。こんな風に海にちなんだもの、アザラシの絵なども描かれている。

フィンランドは夏休みの季節。首都ヘルシンは旅行者が目立ち、地元の人の多くが大自然のただ中で夏休みを過ごしている。絵本『それからどうなるの?』の冒頭にある、ミルク缶を手に森の中を駆け家路に急ぐのは、ムーミントロールだけじゃなかった。作者自身が子どもの頃に実際やっていた夏の一場面だ。ムーミンを読んでいると、挿絵の風景に、または誰かの言動に、フィンランドでの夏の日常が重なり合う。

ムーミンの最初の物語が誕生して来年で75年。その記念の年に、ムーミンはバルト海を保護する大きなキャンペーンを行う。問題はいかに深刻かと怖がらせるのではなく、みんなで動けば未来は変えられる、一緒に前向きに考えよう!グッズを作るだけでなく、海洋文化や海の保護において国内外で評価されている財団と組み、一緒に海のことを考えたり学ぶ機会も予定している。

ムーミン美術館のあるタンペレ市で、もうすぐ演劇祭が開催される。90年代当時、その演劇祭は、これまでフィンランドで観ることがなかったような前衛舞台を世界のあちこちから招聘したり、実験的な音楽を紹介したり、20代の私にはとても刺激だった。ある夜、芝居の後に立ち寄ったバーで、私はシャキッとした老婦人と居合わせた。ストレートな物言いと、鋭い眼光の方で、時々毒を吐きながらも豪快に笑い、この人の前では、前衛的なことをやっている人たちも素直な表情で彼女の話を聞いていた。

「好きなようにおやんなさい」、彼女は私にそう言った。この老婦人はこの映画祭の芸術監督で、そしてヴィヴィカ・バンドラーだと後で友人に教えられた。ヴィヴィカ、トーベと一緒に舞台作品を手がけた人、『ムーミン谷の夏まつり』を捧げられている人、そしてトーベの恋人だった人だ。

ただ知りたいという純粋な気持ちで足を運んだり学んだりする。ためになるならないじゃなく、試験に出るかどうかでなく、損得じゃない。人にどう思われるかなんてことも考えない。ある時、そんな風にしている自分がムーミントロールのようだと思った。無駄な好奇心と言われてもいい、でも、楽しいのだ。珍道中に見えても、私にとっては大冒険なのだ。20代の時にヴィヴィカに言われた一言は、時々思い出す。彼女の言葉もまた、ムーミンの物語のように、私の背中を押してくれていた。

タンペレの演劇祭の期間中、ムーミン美術館では今年もガイドツアーでトーベと演劇に関する特別仕立ての案内が開催されるという。海のことを一緒に学ぼうということも然り、ムーミンを通して、トーベ・ヤンソンを通して、まだまだ知りたいと思うこと、面白そうだと思うことが次々と出てくる。

ムーミン美術館で行われる演劇祭中の特別ガイドツアーについてはこちらをご覧ください:

森下圭子

タンペレのムーミン美術館に新しい限定グッズが登場。これまで各国語で「ムーミン」と書かれていた美術館ホウロウマグは、挿絵を使ったデザインになった。